【座談】超高齢社会ニッポン 在日韓国人高齢者の介護は?<1/2>

高齢者介護はコミュニティーの問題 たりない供給、どう埋める?
日付: 2013年07月03日 00時00分

 人口の25%以上を65歳以上の高齢者が占める「超高齢社会」に突入した日本。当然在日同胞社会も高齢化が進んでいるが、コミュニティーとしての対応は遅れているのが現状だ。今の課題や未来への提言を、在日女性福祉ネットワークの金定子会長、民団愛知新西支部で高齢者問題に取り組んできた韓基成元団長、そして介護福祉士の黄晶雅氏に語ってもらった。(聞き手=権清志)

 高齢者を持つ家族の現実を、体験を中心にお願いします。
 韓基成 父が4月半ばに亡くなりましたが、「介護は大変だ」の一言に尽きます。最初は私が支部団長時代に開設した施設に行ってもらいましたが、男性
金定子(キム・ジョンジャ)
は慣れるのに時間がかかりますね。その後寝たきりになって昨秋から施設に入れたのですが、母の希望で正月明けから自宅に連れて帰りました。部屋はバリアフリーに改装し、胃ろう(胃に管を通し、食べ物などをそこから入れる処置)も自宅でやりました。家族には仕事があり母も高齢のため、ホームヘルパーを1日4回お願いしていました。
 金定子 私が婦人会中央会長の任期中、研修会で講師をお願いした方が「韓国の方には韓国の方の施設を作ってあげないとかわいそうです」というのです。年をとると日本語を忘れるのか、子どもの頃に戻るのか、韓国語しか話さなくなるのだ、と。音楽や食べ物など、文化面にしても同じで、いくら立派な施設でもかわいそうだと語っていました。母が2年前、95歳で亡くなりましたが、ぎりぎりまで姉と妹が母と一緒に住んでいました。最後は病院に入れたのですが、入院して以降、急に韓国語だけを話すようになったのです。本当だったのかと思いました。
 黄晶雅 2002年、義父ががんを患い手術をしました。軽いものではないと感じ、2000年度から介護保険制度が始まると聞いていたこともあり、いろいろと勉強して資格をとりました。当時は仕事にする気はありませんでしたが、実際に闘病生活を目の当たりにしたとき、この技術を身につけておいてよかったと思いました。義父自身は常々子どもたちの世話にはなりたくないと話していて、ホスピスなども考えたようですが、最期まで看取りました。家族の絆を強め、人生をより深く考えられるようになりました。私は今でも家族介護を勧めたいです。
  すばらしいことですが、できない家もあります。うちも最終的には病院に入れました。10人中8人は、家族がいてもお金があっても、入れたくなくても入れないといけない人だと思います。
  私の義母が特養に申請したものの、自宅から近いホームは400人待ちでした。入居には順番があって、認知度、年齢、家族の有無などが関係してきます。順番が20番、30番になっても、1つの施設で年間10人から12人ほどの空きしか出ません。
  私もホームを作ろうと何カ所も視察を回りましたが、とにかく待機が多い。そこに入るのは難しいですね。特別な施設でなくても、婦人会のメンバーが月に1回でも持ち回りでボランティアでやればいいと思います。お金や家族のある人はまだいいですが、何としても在日の独居老人用の施設を作るべきだと思いました。
 支部で介護施設をなさっている立場としてはどうでしょう。
  名古屋に総連系組織の介護施設があり、そこでは婦人会のメンバーが全員ヘルパーの資格をとって運営していました。食べ物も韓国料理で、音楽も民謡をかけて踊っている。2時間もかけて毎日連れてくるご家族もいました。これを民団支部でやるのは苦労しました。施設利用料は本人の1割負担です。何とか工夫してできるだけ安価に利用できるようにしたのですが、それがやっと理解されたのが5年後です。ところが今は日本の介護予算が減り、補助金が出ません。それでも気持ちがあれば支部で施設を作るのは不可能ではないと思います。
  在日にも医者はいっぱいいます。そういう先生にボランティアとして月に1回でもと頼めば来てくれるでしょう。やはり民団や婦人会はボランティア精神をなくしたらいい仕事はできません。
 資格取得は困難ですよね。
  今年の4月から介護保険制度法がかわり、今は介護福祉士という国家試験が必要になりました。ただ、そこまで難しくはありません。
  年数が必要なだけです。
  中央会長時代、大阪の婦人会のメンバー20人から30人が介護保険の資格をとりました。

 

<問われる民団の役割―事業の継続と意識改革必要>

 民団支部レベルではいろいろやっていますが、中央レベルではなかなか見えてきませんね。
 金 
民団中央が力を入れれば、傘下団体があるので少しずつでも動きがでてくるはずです。
  そうですね。本来は支部が動かないといけないのが、財政問題で運営できない状態です。それでも東京では財政的には恵まれている支部がありますよね。地方では建物が立派で貸そうと思っても貸せないところがあります。中央からコンサルタントを入れ、専門家の意見に従って青写真を描くことが重要だと思います。
  地域に住む本当に大変な在日の方のために支部が成り立っているのかということは疑問ですね。情報が伝わらないんです。
黄晶雅(ファン・ジョンア)

  一人ひとりの力は小さくでも、集まれば大きな力になります。団体の力をもっと利用していい仕事をしてほしい。昔の民団は、奉仕の精神がたくさんありました。でも今は温かい心が乏しい。個人は持っていても、団体では乏しいですね。韓国や日本政府の誰々と会った、ということばかりです。
  おっしゃるとおりです。昨年の8月15日の式典で見たことですが、幹部の方々がずらりと入口近くに並んでいました。誰を待っていたと思います? 日本の政治家、韓国の政治家、大使館の人が来るので、警備のために集まっていたのです。その横を各支部からの高齢者が杖をついて歩いているのに、そちらは気にも留めません。何のための8・15式典ですか。在日1世が主役ではないのですか。1世は1年に1回、お弁当を食べにくるわけではなく、大きな行事だから暑い中集まるんですよ。
  民団上層部は末端の団員のことを理解すればいい仕事ができるのにやっていませんね。それと、トップが替わるとすべてが変わるのもいけない。私が種をまいた老人ホーム事業は、次の人に花を咲かせて、その次の人が実を収穫してというふうに長い目で考えていたのですが。
 福祉関係の仕事をしている民団員が、ノウハウやアイデアを提供しても、団長が替わると途絶えてしまうと嘆いていました。
  これは団長になる人の資質の問題なんですが、自分がやったときが一番だというおごりはやめないといけない。それまでやってきたことが、代が替わって一晩でひっくり返るのはもったいない。
 介護の現場の声。介護士の成り手については。
  人と人との付き合いですね。「介護士だから世話してあげる」という姿勢ではなく、友達のように悩みを聞いてあげたり、できることを考えてやります。医療的なことはヘルパーの資格ではできないので、医者の指示のもとで訪問看護が動き、看護士の指示でヘルパーが動きます。さらに業者や福祉行政などもからんでいます。最近は韓流ブームもあり、在日韓国人がひっそり住むような時代ではありません。私が韓国人だと知ると、かえって食べもののことや文化のことを聞かれます。
 仕事はきつくないですか。
  体重のある方とか寝たきりの方のシーツ交換や着替え、清拭せいしき、オムツ交換などは力がいります。行動を見守るのも神経を使います。仕事と思うとしんどいです。辞めていく人も多いですね。
  構造的な問題です。まずは現場の人たちが安い報酬しかもらえない。これが一番の問題。デイケアサービスにしても、何かあったら施設側が困るということで、みんなひとつの場所で折り紙などの単純な娯楽をやるわけです。ところがある施設では、今日はパチンコいくよ、明日は温泉いくよ、と希望者を外に連れていく。昔やっていた人はすごく元気になる。こういう施設や組織を作れば福祉の世界も変わると思いますよ。介護の世界でも給料をたくさん払えば重労働でなくなります。作業量と給料とつりあわないから重労働になるのです。それが人材不足の根源です。


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