無諂 河東秀
昨年から東京の新大久保や大阪の鶴橋で日本の特定団体による「反韓デモ」が続いている。今年に入ってからはほぼ毎週末だ。
デモ隊は「不逞鮮人撲滅追放」や「朝鮮人を東京湾に沈めろ」、「朝鮮人首吊れ」、「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」といった標語を掲げ、連呼していた。
しかし3月31日、新大久保で行われたデモはトーンダウンしていた。
日本のマスコミや一部国会議員の反対集会の報道と相まってデモに反対する人々が多く集まり、署名運動まで行っているせいだろう。
新大久保の通りは、両者の怒鳴り声で騒々しい。あれだけ集客力と発信力のあった新大久保も客足が減り、商売をやめた店もあると聞いている。完全に営業妨害だ。
日本の国会議員やデモを目撃した一般人は「日本人として恥ずかしい」、「関東大震災時に、朝鮮人を虐殺した史実と酷似した雰囲気」と言っている。
今、問われているのはこの雰囲気をそのままにしておくかどうかだ。即ち取り締まる法律がないからといって静観するのかということだが、それではすまないだろう。
変質し続ける記念日
日本の戦後史への反省と戦後民主主義、平和体制の質と深さが、今問われている。これは歴史教育の不足と真摯な反省を行ってこなかったつけでもある。
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都立横網町公園慰霊碑:関東大震災時の混乱のなかで、あやまった策動と流言ひ語により尊い命を奪われた多くの朝鮮人を追悼し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い、震災50周年を記念して立てられた碑。 |
9月2日を「降伏の日」と呼んでいた慣習は消え8月15日の「終戦記念日」が強調されるようになり、9月1日を「防災の日」に変え、敗戦と戦争で何が起き、アジアで何が起きたのかが曖昧になった。日本は昔から平和思考だったとか平和国家だったかのようなイメージに変えられてしまった。
特に9月1日は防災訓練だけを行うようになり、今から90年前のその日に朝鮮人虐殺があったことすら歴史から消え去ろうとしている。「ら」行の発音が苦手だった朝鮮人に「りんご」と言わせて「にんご」と答えたら自警団が捕まえたそうである。東北の人も「ら」行がいえず、かなりの人々が朝鮮人に間違えられて殺されたと聞いている。二度とこのようなことが起きてはならないということが曖昧になった。
日本の歴史教育を過度な自虐史観だと主張する人々が増え、形を変えて「他虐史観」に変わってしまった。安倍首相は河野談話や村山談話見直しを検討していたが、現在は否定している。やはり対アジア関係を考慮してのことだろう。今後もブレない事を願う。
マッカーサー元帥
日本が韓半島を支配したときに犯してはいけなかった過ちは、言葉を奪ったこと、苗字と名前を変えさせたこと、宗教の自由を奪い神社参拝を強要したことだろう。
マッカーサー元帥が日本を占領したとき、明日から英語を話せ、山本や鈴木ではなくリチャードやケネディーと名乗れ、宗教はキリスト教を信じろといったことと何ら変わらない。これに違反したら逮捕された。
このようなことをされて怒らない日本人はいないはずだ。韓半島ではそれが起きたから独立運動や抵抗運動が起きた。これはどのような理由をつけても弁護できない。
英国がインドを植民地にしたように、単なる経済的な略奪だけではない。韓半島の文化と自尊心を奪ってしまった。この事実を、今の日本人は知らなさすぎる。
謝罪を要求しつづける韓国は執念深いとか、経済的補償は済んだはずだとある人はいう。しかし違う。この3つの過ちを忘れている。あるいは教えられていない。これは日本が嫌でも背負わねばならない歴史だ。
背負うことをやめたら韓国やアジア諸国との和解は始まらない。反省を自虐史観とか反日教育といった論点で捉えていれば、何も見えてこない。グローバルな現代、アジアを昔のように上下関係でなく、水平で見ていかないと、ともに前進できない。今行われているデモや街宣を放置することは、日本の「正義」、「法治」、「良心」が問われることになる。世界のマスコミは見ている。
韓国も同様だ。韓国にも排外主義的な感情が一部に渦巻いている。それは「民族」や「親日」、「統一」という標語と結びつきやすく、周囲はその言葉に「絶対善」を与えてしまう脆さを持っている。韓国も日本も内在する「新大久保」を止揚すべき時期にきた。12年前にJR新大久保駅で人を救うため命を落とした韓国人留学生と日本人カメラマンの2人は、今の騒ぎを悲しんでいるだろう。