盧武鉉大統領は06年8月13日、ハンギョレなど“友好的な"新聞社の幹部を招待して夕食をともにしながら、韓米間の北韓急変事態対策である5029計画を批判した。彼は金正日の前でも「5029は米国が戦争しようとする計画だが、私は反対して阻止した」という要旨の話をしたという。5029は北侵計画ではなく、北韓の急変時に備えた対策だ。朝鮮日報の張一鉉記者はこの件について、最近次のように整理した。
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韓米当局は、金大中政権時代の1999年から北韓急変事態に対する対策を協議しはじめた。この時作ったのが「概念計画(CONPLAN)5029」だ。
概念計画は兵力動員や部隊配置などが含まれていない抽象的なシナリオだ。韓米の軍当局は、盧武鉉政権になって「作戦計画5029」を作るべきだと主張したが、盧前大統領と青瓦台の国家安全保障会議(NSC)の反対で実現できなかった。
両政権は、韓米が北韓急変事態を想定した軍事作戦計画を練るという発想そのものが許せなかったのだ。李明博政権発足初年度の08年夏、金正日が脳卒中で倒れると5029をいつでも実行可能な作戦計画にすべきだという米国側の要求を拒否する理由が消えた。そして1年あまりの協議の後、作戦計画5029が完成した。
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李明博政権の安保担当のある中心的人物は、「盧武鉉勢力は、北韓に急変事態が発生してもこれを統一に持っていくと考えない。北韓政権を生かして連邦制統一をしようとする。5029の完成で、韓米は北韓急変事態を統一の契機とすることにした」と説明した。5029計画をめぐる対北観と統一観の根本的な差が明確になったのだ。
金大中・盧武鉉政権と従北左派勢力は、反国家団体の首魁と結んだ反憲法的な6・15と10・4宣言に立脚して、憲法第4条に定める「平和的自由統一」を否定。共産主義を容認する北韓式連邦制統一案に追従した。韓半島に2つの国を許す「国家連合」とは反憲法的なものであり、分断を固定化する用語である。
盧武鉉は金正日との会談で、数十兆ウォンにおよぶ一方的支援を約束しながら、国軍捕虜の件は提起しなかった。
文化日報は会談後、「盧武鉉前大統領が『10・4宣言』の合意を引き出す過程で数十兆ウォンがかかると推定される南北協力事業を提案しながら、金正日に『(来年に政権が変わるが)こういう時こそくさびを打ち込むべきだ』と念を押した」と報じた。同紙によると、「盧大統領は、首脳会談当時、金委員長が『2カ月後(韓国で)大統領選挙が行われ、来年は政権が変わるのに、このままでいいのか?』と聞いた」とのことだ。それに対する回答が「くさびを打ち込むべき」とのもので、盧武鉉はそういう要旨の表現を用いたという。
盧武鉉と金正日の間で交わされた対話を南北共同宣言文として整理したものが10・4宣言だ。これこそ大韓民国の心臓と脳に打ち込まれた五寸釘だ。要約すれば、「迂回的方法でのNLL無力化、北核の事実上の容認、核放棄しない状態での終戦宣言推進など韓米同盟解体に進む条件作り、造船公団建設および鉄道や高速道路の改修・補修など莫大な対北無条件支援の約束」である。
盧武鉉は、北に数十兆ウォン規模の支援を約束しながら、国軍捕虜と拉致被害者の返還には一切言及しなかった。この点が盧・金会談の本質を物語っている。
李明博政権は、盧・金密約こそ履行しなかったものの、くさびを抜かず10・4宣言という負担を次期政権に引き渡す構えだ。最も確実にくさびを抜く方法は、盧・金対話録の全文を公開して国民の判断を仰ぐことだ。