芥川龍之介は「侏儒の言葉」で「国民の9割強は一生良心を持たない」と指摘していた。韓国、日本とも選挙を控えているが、政治家ほど良心を喪失してしまった人たちはいないと感じさせる。平気で嘘をつき、相手を攻撃する。その攻撃も重箱の隅をつつくようで本質とはかけ離れており、攻撃が必ず自身に戻ってくるという道理すら忘れているかのようだ。道理と良心があると、政治家は務まらないのだろう▼先日、韓国大統領選の無所属候補だった安哲秀氏が候補一本化のため、立候補を辞退した。国民との約束を守るために辞退した。それは彼が政治家でないからできたことであったのではないだろうか▼両国ともに選挙にも関わらず、政策論議が無い。国民はどこに投票したらいいのか分からずじまいだ。このままでは両国とも棄権者が多くなるだろう。次期政権は誰がなっても「若者の失業問題、格差の解消、高齢化対策」が課題になる。さらには「右傾的姿勢」だ▼靖国神社の遊就館には、薄暗い廊下にさまざまな過去の国家主義の正義が陳列されている。それを見ていると心悸が高まることがある▼中国の唐代、李敬業の乱にあたった駱賓王の檄文『一抔土未乾 六尺孤安在』(先帝が亡くなり、その墓の土がまだ乾かないのに、幼君は廃せられて、いまどこにいるのだろうか)のように、まだ戦争放棄して間もないのに「憲法改正」論議はまだ早いのではないだろうか。檄的な言葉にどうしても国民は弱い。問われているのは両国とも国民の民度と政治家の姿勢だろう。
(無諂)