従北のアジト、統合進歩党!

4枚で整理した見出し(fact sheet)
日付: 2012年08月02日 10時17分

金成昱

(1)駐韓米軍の撤収を要求する統合進歩党の綱領
2012年従北論難の導火線は統合進歩党の比例代表国会議員に李石基と金在妍の当選だ。二人は統進党内の党権派(あるいは旧党権派)と呼ばれ、統進党を掌握した主体思想派(主思派、つまり金日成主義者)が選んだ人物と言われる。だが、党権派(旧党権派)と非党権派(新党権派)は平壌の指令を受けるかどうかに差があるかは分からないが、北韓側と同じ主張をする従北性向には差がない。統進党が綱領と体質を変えない限り、問題の核心は統進党そのものにあるということだ。
統進党は前身の民主労働党の綱領をそのまま継承した。この党の綱領は北側が韓半島赤化のため主張してきた駐韓米軍撤収、国家保安法撤廃、連邦制統一(連邦制を宣言した6.15と10.4宣言の履行)路線をそのまま盛込んだ。
綱領36条は“休戦協定を平和協定に代えるなど、韓半島と北アジアの非核・平和体制を早期に構築する。それと連動して駐韓米軍を撤収させ、従属的韓米同盟体制を解体して東北アジア多者平和協力体制に転換する”と規定している。
統進党は“6.15と10.4宣言の履行(綱領38条)”を規定しているが、6.15と10.4宣言は北側の“連邦制統一”を受容れた私文書であり、平壌側は、6.15と10.4宣言を通じて“高麗連邦制へと履行”して“全社会を金日成・金正日主義化”する韓半島の赤化が可能だと扇動している。
従北論難の核心が、李石基や金在妍のような党権派(旧党権派)だけでなく非党権派(新党権派)を含む統進党そのものにあるという事実は2012年7月15日新任代表選出の時再確認された。新任代表の姜基甲(*左写真)前議員は、就任一声で“党のアイデンティティと綱領精神は徹底的に守って行く”と宣言した。彼が徹底的に守ると確認した党のアイデンティティと綱領精神とは“駐韓米軍撤収、国家保安法撤廃、6.15と10.4宣言の実践”を骨子とした統進党の綱領だ。北側の対南路線実践をもう一度確認したのだ。
(2)天安艦と延坪島、3代世襲に対する統進党の立場
①天安艦爆沈、②延坪島砲撃、③北側の3代世襲、④北韓人権問題に対する立場は従北なのかどうかへのリトマス試験紙と言われる。北側の対南路線と目標が一致すると、これら問題でも北側の肩を持つようになるのだ。
2011年12月、統進党に改名前の民主労働党は、3代世襲問題と関連して、“北韓の後継構図と関連してわが国民の目線では理解し難い点があっても北韓の問題は北側が決める問題(2010年9月29日)”であると主張した。
民主労働党の蔚山市党(委員長金昌鉉、*右写真)は、京郷新聞が2010年10月1日‘民主労働党は3代世襲を認めるというのか’という題名の批判的社説を出すと10月4日‘京郷新聞絶読’および‘全党次元の購読中止運動’を宣言した。
興味深いのは同じ時期の民労党の別の声明だ。金氏王朝の3代世襲を“北側が決める問題”と庇護した民主労働党は、ほぼ同じ時期に出した声明でG20首脳会議を“韓米間韓米FTAの陰謀的合意”と言い、李明博政府を“反民主的であるだけでなく典型的な独裁的様態(10月15日)”と非難したのだ。
<“金正日国防委員長... 北韓住民大多数の同意を獲得”>
民労党のシンクタンク‘新しい世の中研究所’の朴・ギョンスン(*左写真)副所長は、2010年10月7日討論会で北側の3代世襲を庇いながら“後継制度問題は厳として北韓の核心的内部問題”とし、“真の進歩は容認し難いイデオロギーまでを包容できるトレランス(寛容)を持たなければならない”と主張した。
民労党は北側の天安艦爆沈と延坪島砲撃の時もすべての責任を国軍と政府に転嫁し北側をかばった。天安艦爆沈の時李正姫(*右写真)代表は、北側でなくわが政府に向けて“選挙で一度勝つため戦争まで辞さない破廉恥な者ら(2010年5月23日)”と非難した。もちろん、この演説の前と後を含んで民主労働党次元の対北批判は無かった。
統進党の現代表である姜基甲前議員も、天安艦爆沈が北側の仕業という主張に対して“嘆かわしい”と言い、“10.4宣言さえまともに履行したら天安艦の悲劇は最初から起きなかった筈(2010年4月20日)”と言った。天安艦爆沈は北側の仕業ではないが、北側の要求である‘10.4宣言’さえ応じてあげたら天安艦は爆沈されなかった筈という荒唐な肩入れだった。
民労党は、北側の延坪島砲撃の時も北側でなくわが政府と米国を非難した。例えば、2010年12月20日民主労働党の声明は“米国はどうしても韓半島でまた韓民族の殺し合いの戦争を望むということか”として批判の矢を米国に向け、同じ年の11月24日李正姫代表は“南北関係を悪化させた結果を政府ははっきり見なければならない(ツイッター)”とし、平壌側でなく政府を非難した。
従北主義は反政府活動でない。大韓民国という国と憲法を認めない流れだ。例えば、民労党の金恵敬代表は、2005年8月平壌の‘愛国烈士陵’を参拝(*左写真)して“あなた方の‘愛国の心’を永遠に胸に刻む”と書いた。愛国烈士陵は北側の根っからの共産主義者らが葬られている所だから、芳名録に書いた“愛国”の‘国’は大韓民国でない。民労党が愛する国がどこなのかを示す例だ。
(3)李石基金在妍党権派の正体
従北に走ってきた統進党内で李石基と金在妍議員(*右写真)は表に現れた腫瘍だ。李議員は韓国外大の龍仁キャンパス中国語通翻訳学科82年度入学組で民族民主革命党(民革党)の京畿南部委員長として活動した。
当時法院は民革党を“金日成の主体思想を指導理念とし…北韓側の対南革命戦略戦術に従って社会主義社会の建設を目標に活動するため国家を変乱することを目的に構成された反国家団体”と判示した。李議員は1999年民革党の解体後も‘民革党の再建を企図’したと知られている。
統進党内の民革党関係者は李議員の他にも李相奎議員(民革党首都南部地域事業部総責)および李義燁戦略企画委員長(民革党釜山地域委員長)、金昌鉉蔚山市北区の野党単一候補(民革党嶺南委員会)、朴・ギョンスン進歩政策研究院副院長(民革党嶺南委員会の総責)など多数だ。
李石基議員は民革党の前にも主体思想派組織である‘自主・民主・統一グループ(以下自民統)’の核心盟員だったと報道された。自民統も主体思想を追従し反国家活動を行ったため法院から反国家団体と判示された。
‘親北地下組織である自民統事件の捜査結果’など1990年代に政府が発刊した複数の文書によれば、自民統組織員は食事の前に金日成への尊敬の表示として黙祷をした。背筋が寒くなる内容の自民統の決議文はこうだ。
“偉大な首領様・金日成同志と我々の指導者・金正日秘書の長寿と韓民戦の指導の下でこの一命が終わるまで闘争するという決意と決断で進もう。偉大な首領・金日成将軍様について息の根が切れるその日まで死をもって革命を死守します”
<“息の根が切れるその日まで死をもって革命を死守!”>
金在妍議員は韓国外大の総学生会長および韓総連の代議員(2002年10期)を務めた。金議員は4月10日韓国大学新聞(http://news.unn.net/)とのインタビューで“指名手配された3年間を大学校の中で生活した”と言い、韓総連を“社会正義が実現される空間”と評価した。
金議員が“社会正義の実現団体”と表現した韓総連は、金正日政権の前衛隊の役割を自任して1998年利敵団体と判示された。法院は“韓総連は北韓の主体思想を指導思想と設定して自由民主主義体制を否定してきた(2004ド3212)”と判示した。
韓総連議長が金正日への忠誠スローガンである“決死擁衛”を血書で書いて携帯して立件されたこともある(2003ド604)。大法院は“韓総連所属学生たちが北韓の金正日賞賛スローガンである‘首領決死擁衛’から引用した‘決死擁衛’という文句を横114cm、縦89cmの白い布に血書で書いて韓総連議長にあげて、韓総連議長がこれを所持していた”と明らかにした。
<非党権派には問題がない? 康宗憲のケース>
李石基議員は民革党や自民統活動の過程で‘京畿東部連合’という半合法団体を率いながら民労党と統進党の党権を掌握した。‘京畿東部連合’は1991年結成された‘民主主義民族統一全国連合(全国連合)’の地域組織だった。全国連合は2002年9月‘君子山の約束(誓い)’を通じて駐韓米軍撤収‐国家保安法撤廃‐連邦制統一を決議し、連邦制統一は“北韓の社会主義革命力量に加勢、結集する方式でなされる”と解説した。
‘京畿東部連合’所属の統進党議員は、李石基の他に6人がいることが知らされており、彼らがいわゆる党権派(旧党権派)と呼ばれる。しかし、統進党自体が従北であるためこういう分析は大きな意味がない。例えば、非党権派(新党権派)と呼ばれる姜基甲前議員や呉秉潤(光州市西区乙)議員も‘京畿東部連合’の上級団体である全国連合の幹部だった。
統進党比例代表18番の康宗憲(*右写真)も党権派(旧党権派)ではないと言われる。彼は‘在日同胞留学生スパイ団事件’で死刑を宣告された後13年間服役した。康宗憲は1988年出所後日本へ追放されてからは北韓政権を追従してきた反国家団体の韓統連(在日韓国民主統一連合)と利敵団体の汎民連(祖国統一汎民族連合)の海外本部幹部などを務め第19代総選挙で統進党の比例代表候補として出馬した。
康宗憲は‘金日成に捧げる還暦祝いの歌’まで平壌へ送り、この歌は1972年4月14日付けの労働新聞2面に掲載された。労働新聞に掲載されたこの歌は“民族の英雄4月の太陽、明るい光を放つ、金日成元帥様よ、万年長寿して下さい”などの歌詞で書かれ、この事実は法院の判決文にも登場する。
www.chogabje.com  2012-08-01 11:14


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