「終戦後」と「震災後」=編集余話 瞻星台

日付: 2012年06月06日 00時00分

 太平洋戦争後、日本の「戦後」回復は目覚ましかった。復興に皆、一致団結していた。しかし昨年の3・11の「震災後」の回復はまだ何も手付かず、復興の道筋すらはっきりとは見えていない。政治や行政の統治機能が働いているのか疑わしさを覚えるほどだ。東電や政府の見せた「隠す、偽る」「その場しのぎ」の対策や態度から国民は不信・不安に陥った。為政者自身が国民を信頼していない。「絆」という言葉にすら偽善を覚える▼日本社会の劣化が激しい。為政者も庶民もともに劣化した。日本の「勤勉さと正直さ」を喪失してしまったかのように、福島産のコメや牛肉が鹿児島産に偽装されていた事件が発覚した。政府は政府で、最低数十年は福島の高濃度汚染地域は住めないにもかかわらず、戻れるような情報提供を平気で行っている。為政者にとって嫌な情報でも国民にいかに透明に公開するか、できるかが「一流国家」たる条件だ▼「震災後」にはっきりしたのは、経済が右上がりのために隠れていたことが見えてきたにすぎないということだ。いまや「為政者」と「財界」は癒着し、既得権を守るのに必死だ。「原子力ムラ」の構造は日本社会全体に構成されてしまった。「AIJ事件」で明らかになった社会保険庁の天下り構造と社長の国会答弁。東電社長の値上げ説明と脅し。社会上層部の倫理観のなさ。日本人が劣化し、国民は怒れなくなった▼日本は「大国」で「一流国家」になれる要素は持っていたが、なれずじまい。韓国は「大国」ではないがこのままワンステップ発展できるかどうかの分かれ道にいる。


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