‘赤狩り攻勢’という常套的言葉

日付: 2012年05月30日 17時42分

柳根一
“民主統合党は、5月28日、李明博大統領がラジオ演説で北韓より従北勢力がもっと大きな問題だと表明したことに対して‘赤狩り攻勢に便乗している’と指摘した”と朝鮮日報が報道した。
時々最も腹立つ言葉の一つがいわゆる赤狩り攻勢という言葉だ。赤狩り攻勢がやってはならないことなら、彼らはなぜ他人を‘守旧の石頭’と色分けの攻勢をするのか? 国民は公人に対して従北なのかどうかを問う権利があり、もし従北なら“どうしてそうするの?”と抗議する権利がある。私人ならいざ知らず、公人に対してはそれを問うことも糺すこともできる。そして公人は自分の政治的、理念的、政策的アイデンティティが何なのかを国民に正直に明かす義務がある。
ところでどうしたことか、左翼は右翼に理念の是非を口汚く責めるのに、右翼が極左に従北を糺すと“赤狩りなのか?”と地団駄を踏む。何と一方通行なのか? 従北を従北と呼んでそれを是非することは、北と南韓の左翼が大韓民国を‘植民地’と罵って是非するのと対等性を持つ。一方は自分の口から思う存分他人を是非しても良く、相手の方はそうしてはならないと言ってはそれがどうして対等性なのか? いったいそういうごり押しが許されるべきなのか?
もし、大韓民国に従北がないなら別だ。だが、従北は明確に存在している。どう分かるかって? 魯會燦と沈相奵が‘従北’という言葉を使いながら民主労働党から脱退した時、従北の存在が右派でなく他の左派によってでも明確に確認されたため分かった。
国家保安法があるため、“お前、主体思想に対しての立場は何か?”と問うのは公正でない赤狩り攻勢だと一部は反抗する。そう? それならそう言う彼らの内心は、国家保安法があるため逮捕されるのを恐れて(赤であることが)認められないという自認なのか? 国家保安法の4条1項が乱用された時はあった。だが、それは過去の話だ。今は判事たちがそういう乱用を容認しない。
自由右派たちよ! 辛辣に、だが極めて理路整然と、根拠に基づいて従北主義者らに向かって思想論争、思想闘争-つまり、正当で当然の色分けの思想論争しよう。そうすると、従北主義者らとその擁護勢力は‘魔女狩り’という盾の後にまず隠れるだろう。だが、笑わせるなと言わねばならない。魔女狩りは、大韓民国と自由主義、保守主義、社会民主主義はもちろん、甚だしくは彼らと同類だったトロツキー主義、ブハーリン主義、ソ連派、延安派、甲山派、南労党までも反動、逆賊輩党、米帝の手先、米帝のスパイ、売国奴、親日派、修正主義-改良主義-反党-反人民-反革命セクト分子という色をつけて皆殺ししてきた彼らの平壌の親友らがむしろ元祖の中の元祖だ。

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