朴誠賢(ニューデーリー論説委員/著述家)
‘平壌の奴ら’が統進党非主力派に怒鳴った。“このセクト主義の奴らxx! お前らは米CIAの手先だ!”
ビンゴ!
趙俊虎、沈相奵、魯會燦、柳時敏…非主力派の闘争を率いている人々に心よりお祝い申し上げる。
あなた方はもう平壌が公認した“米CIAのスパイのセクト主義奴らxx”らになられた。
この称号は 平壌の奴らが言える最高の賛辞だ。
平壌の奴らは自分たちが最も憎悪する敵を呼ぶ時、その敵らを手段方法を問わず殺す時、この用語を用いる。今やついに貴下らは平壌の奴らが軽く無視できない、彼らの不倶戴天の敵になることに成功したのだ!
平壌の奴らは1955年に朴憲永を“米帝国主義のスパイ・セクト主義者”と烙印を捺して殺した。1956年には数多くの南労党出身を“セクト主義者”と烙印を捺して処刑場に送って銃殺したり集団収容所に送って飢えさせて殺した。
ア、どれほど久しぶりのことなのか! 急進民族主義、あるいは社会主義性向の人々がこのように一度に、このように露骨に“米CIAスパイのセクト主義奴xx”と呼ばれたのが! 何と56年ぶりのことだ!
お祝い申し上げる! 皮肉るのではない! 本当に感激的なことだ。
今やはじめて平壌の奴らと不倶戴天の敵として戦える‘運動圏’出身の巨大な陣営が作られきつつあるわけだ。
大韓民国の急進左派の運動史は恥辱の歴史だった。6.25戦争を前後にして北に行った数千、数万の南労党出身が1956年に惨めに殺されたのに、こちら南の急進左派は1985年までこの問題に触れもしなかった。
[編集者注:朴誠賢の他の文から]
韓国社会の従北人脈は、人革党-統革党-南民戦に続く60~70年代の従北‐私はこれを‘旧世代従北’と呼ぶ‐とおり、1980年代中盤以後に作られた‘386従北'がある。
旧世代従北の核心は統一革命党だ。そのボス(boss)の金鍾泰は直接北韓へ行って金日成に会って来た‘大胆な男’だった。旧世代従北の3大事件の中で、北韓から‘地下党’資格を認められた唯一の組織が統一革命党だ。統一革命党に対して注目すべき点は、1955年から1956年にかけて金日成が南労党系列を大々的に粛清した後、最初に金日成体制に忠誠を誓った南側組織だったということだ。
北へ行った先輩たちを犬死させた体制を上様として崇める、精神的マゾヒストの伝統を立てたのがまさに統一革命党だ。焼酎‘チョウムチョロム(初めてのように)’の文字を書いた申栄福と、韓明淑民統党代表の夫である朴聖焌が代表的な統一革命党関連者だ。
386従北は1985年に金永煥が草分けだ。金永煥はこの年に‘鋼鉄書信’というパンフレットを書いた。このパンフレットは“1955年に金日成によって米帝国主義のスパイにされて死んだ朴憲永は本当に米国のスパイであったのか?”という問題を提起した後“スパイだった”と結論を下しながら、金日成体制を上様と崇める‘心の構え’を準備させる文書だった。
金永煥は1991年に江華島から潜水艇に乗って北に行って金日成に会い朝鮮労働党に入党した後米貨40万ドルの工作金をもらって民族民主革命党を組織する。だが、彼はずっと‘首領の無誤謬性(infallibility)’-首領の行動と言葉は絶対的真理という狂信-に疑問を提起してきて1997年に自ら民革党を解体して転向する。
この時、解体に反対した人物が独自に北の工作員と接線して北韓との連結線を確保し地下党を再建する。これが再建民革党だ。この人物がまさに河永沃、李石基などだ。最近新聞で多く取上げられている‘京畿東部連合’は、再建民革党の京畿南部委員会が活用した大衆公開組織だった可能性が高い。
人民革命党、統一革命党、南民戦の核心は北へ行った先輩、後輩、同僚の犬死に対して何の異議も付けず、彼らを虫のように殺した金日成に忠誠を誓った。特に北から初めて地下党と認められた統一革命党がそうだ。
焼酎‘チョウムチョロム(初めてのように)’の文字を書いた申栄福、韓明淑前民主統合党代表の夫である朴聖焌が深く関与した統一革命党は、自分たちの先輩、後輩、同僚を殺した平壌の奴らに忠誠を誓う卑劣でかつ卑屈な伝統をたてた。政治的マゾヒスト‐淫乱性被虐症患者ら‐だ。虐待されて殺されることが好きでない限り、どうしてそのような荒唐なことができるだろうか?
1985年金永煥が書いた‘鋼鉄書信’は、従北地下党先輩たちが固着させておいたこのマゾヒズムから脱出しようとした必死の(だが失敗した)試みだった。鋼鉄書信は、急進地下勢力の文書としては30年ぶりに初めて“金日成一派が朴憲永と南労党を殺したのが果たして合理化されることができることなのか?”という問題を提起した。
金永煥は自ら提起したこの問題に対して“粛清は妥当なことだった”と結論を出し金日成投降した。に
ところが、この問題を提起したこと自体が意味のあることだ。地獄への薄暗い階段を降り始める人間が、その階段入口に“ここから地獄へ行く入口が始まる”と標示する作業であるからだ。
分かり易く話そう。金永煥は、“セクト主義者(南労党)の大粛清が果たして妥当なことだったか?”という質問に対して“そうだ”と答えることがまさに[従北への第一歩]ということを確実に標示しておいたのだ。このように標示しておけば、後にでも“妥当でない。卑劣な屠殺行為だった”と判断すれば金日成作った地獄から脱出できるようになる。が
1991年、金永煥は‘地獄の心臓部'‐平壌へ行って金日成に会った。そちらで彼は高位級の人々に訊いた。“首領が誤謬を犯せば誰が正すんですか?”高位級人々は皆顔色が青ざめた。
“首領は誤謬を犯さない存在だ。首領が垂れた小便さえも万病統治の神通力を持つ真実の塊りだ”という無誤謬性(infallibility)への確信がまさに首領全体主義のアルファでありオメガであるためだ。金永煥は地獄の心臓部に行って、地獄の根本に関する質問を投げたわけだ。
それをもって彼は“ここが地獄の心臓部だ。首領の無誤謬性を信じないなら今でも考え直して平壌奴らと縁を切らなければならない!”と書かれた大杭を打ち込んだ。
しかし、この全ては一人の観念的知識人の小さな身振りに過ぎなかった。
首領全体主義を追従する従北の流れは巨大な津波になって1990年代末以後わが韓国社会全体を襲った。そして真っ暗な夜がきた。
真実は隠されて平壌の奴らを“交流と協力のパートナー”と考える風潮が流行した。地球最悪の全体主義虐殺集団を“韓国人”と錯覚する奇怪な考え方がわれわれの社会を深く掌握してきた。この考え方をまき散らし強化した中枢機関がまさに従北聖骨だ。
もはやこのすべてが終わり始めた。まさにあなたたち(趙俊虎、沈相奵、魯會燦、柳時敏…非党権派の闘争を率いている人々)、雑種が聖骨に立ち向かって反乱を起こしたのだ。
あなたたちはもう戻る道がない。あなたたちは今や果敢に進まなければならない。後に戻る道はない。あなたたちは今まで従北聖骨に屈従して彼らの忠実なパートナーとして我慢してきた。
もう聖骨たちの注文を撥ね返さねばならない。いったい誰が聖骨で誰が雑骨? というのか
平壌の奴らの観点で見れば彼ら(河永沃、李正姫-沈載桓夫婦、李石基、金在妍など)が聖骨で、あなたたちが雑骨だが、大韓民国の観点から見ると彼らはゴミであるだけだ。彼らの邪悪な呪術から抜け出して、自由、生命、真実のため立ち上がる時あなたたちこそ‘大韓民国標’の聖骨になれる。
すべての反乱は利害関係、立場、食べることの戦いから始まる。あなたたち、雑骨起こした今回の反乱も国会議員バッジにまつわる鬱憤から始まった。当然カーテンの後や日陰で隠れているべき従北聖骨たちが金バッジを独占したことから裏切られたという感情から始まった。が
食べることから始まった反乱は、思想、理念、価値に関する戦いへと昇華される時完成する。
平壌の奴らはすでにあなたたちの額に死の烙印を押した。こう叫んだはずだ。
“米CIAのスパイのセクト主義奴らxx!”
もうあなたたちが平壌の奴らに死を宣告することだけが残った。それがあなたたちが起こした今回の反乱の真の意味だ。
あなたたちの反乱が完成することを、また、成功することを心から祈願する。
*朴誠賢はソウル大学政治学科を中退、米ジョージワシントン大学経済学科を卒業。1980年代最初の地下学生組織でPD(人民革命)系列の出発になる全国民主学生連盟の核心メンバーの一人。ニューデーリーに論説とコラムを書き、www.duduri.netを運営中。