進歩統合党「党権派」の共産党式手口

共産党は手段方法を選ばない。
日付: 2012年05月04日 14時47分

柳根一
進歩党「党権派」の党内投票の不正手法を見ると、彼らは本当に目的のためには手段方法を選ばないことが再確認できる。進歩党の党権派は民主労働党の党権派だったし、彼らの根っ子の一つは1990年代の従北地下党である「民族民主革命党」(民革党)の非転向派(京畿南部委員会)+嶺南委員会だった。この系列が進歩党の比例代表の上位順位を確保するためにそうしたということだ。
彼らは元々他人の家だった「民主労働党」(民労党)を乗っ取るために居住地をあっちこっちに移して党内選挙で自派候補を当選させる手口を使った。本当に執拗で酷い部類だ。彼らは一人では大韓民国の制度政治に登板できないことが分かって、他人の家を徐々に蚕食する手法を使った。この手口はもちろん非常に古い古典的手法だ。
植民地からの解放(1945年)空間で、呂運亨と安在鴻の二人の左、右政治家が「建国準備委員会」を創った。すると共産党員たちがそっと忍び込み始めた。ついには安在鴻のような右派出身の指導者は自分が完全に共産党の包囲網の中に閉じ込められていることに気付いた。それで「建準」から脱退した。折角家を建てたのに、下から潜り込んだ共産党のモグラらに乗っ取られたのだ。
呂運亨も共産党と「第1党」をおいて競争した。南韓の左翼勢力の代表の地位を置いて共産党と競ったのだ。プロレタリア独裁を目指す共産党は「ブルジョア民主主義国家の下での社会主義政権」を指向した呂運亨に「第1党」の地位は許せなかった。それで共産党員らは意図的に呂運亨の垣根の中に潜り込んできた。フラクションだったわけだ。呂運亨氏もモグラらの策動に耐えられなくなった。(*左写真は朴憲永と呂運亨)
このモグラらの手口を連想させる策動が2000年代の韓国の左派政党で目撃されている。「投票不正? 躊躇するな。私たちの偉大で神聖な目的のためにはすべての手段が『正義』なのだ」という式だ。民主労働党の時は自分たちや似たような身内同士でそういうことをやったためこれが外部へ露出されなかった。誰にも気付かれなかった。ところで最近は外部の人々が進歩統合党に合流したため、新しく合流した人々が彼らの「専横」に我慢できず暴露してしまった。
侵入して食え、これが彼らの手法だ。なのに侵入される側は毎度やられながらも無策で引きずられた。これでは彼らのモグラ作戦が将来どこまで進むのかわからない。本当に恐ろしい部類だ。

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