「アジアの浮上」という概念は戦略的虚構

日付: 2012年04月25日 03時05分

李春根
国際政治と関連してこの頃流行している話の一つが「米国の時代は暮れ、アジアの時代が開かれる」ということだ。実際、1950年代以降アジアの国々は急速な経済成長を遂げて2010年代の現在アジアの経済規模はヨーロッパを追い抜き、米国の地位まで脅かす状況になった。具体的に1950年代中盤以降の日本の急速な経済発展、1960年代から90年代まで韓国、台湾、香港、シンガポールなどいわゆるアジアの四匹の龍の目覚しい経済発展、1980年代以降中国の超高速経済成長、2000年以降のインドの経済発展は21世紀を「アジアの世紀」と言えるようにした。
このようにアジアが浮上する現象に対して、識者然とする人々は文明の中心地がエジプトからローマに、そして英国へ、また米国へ移った点を指摘する。地球文明の中心地は常に西の方に移動してきたから、次の文明の中心地は当然米国の西側にあるアジアになると言う。
大陸でなく個別国家成長
しかし、こういう主張は体系的でも論理的でもない。文明の中心が東から西に移動するという主張が体系的でない理由は、それが経験的にはその通りかも知れないが、文明の中心が「なぜ」、「何の理由で」東から西に移動したかに対しては何の説明も提示できないからだ。また、このような主張が論理的でない理由は、米国とアジアは正しい比較対象でないためだ。米国は一つの国で、アジアは色々な国で構成された大陸だ。
アジアが浮上していると言えるためには、アジアの国々があたかも一つの国のように行動するという仮定が前提にならねばならない。だが、不幸にもアジアの浮上は現実でない。アジア国家である日本が浮上し、韓国が浮上し、中国が浮上し、インドが浮上したのが現実だ。
これらアジアの国々の浮上は協力よりはむしろ相互牽制と競争、さらに敵対意識すら招いている。日本の浮上を中国は喜ばなかった。同様に中国の浮上を日本とインドは憂いの目で見た。中国はインドの浮上を喜ばない。中国と日本は韓国が統一してもっと安定的でかつ強い国になるのも内心望まない。
東北アジアの国際秩序を極度に不安にした北側の長距離ミサイル発射実験(4月13日)から一週も経たない4月19日、インドは大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験に成功して世界六番目のICBM保有国になった。インドが発射したアグニ-5ミサイルは射程5000kmだ。
では、インドは、なぜ、誰を目標としてICBMを開発したのか? 宿敵のパキスタンを狙うなら短距離ミサイルでも充分なはずだ。米国を牽制するには1万km以上のICBMが必要だろう。結局、インドのミサイルは中国を牽制するものというしかない。
相互牽制や敵対意識すら招く
米国の戦略家たちはアジアの強大国らが互いにライバルであるため「アジアの浮上」という概念は戦略的虚構という事実をよく知っている。それで米国は、中国、日本、インドなどアジア強大国の三国の中で最小限一国と同盟を維持すれば良いと考える。アジアが一つでないため可能な戦略だ。
日本は第2次世界大戦後現在まで米国と最上の同盟関係を維持している。中国の浮上で心が穏やかでないインドも米国との関係を次第に同盟のレベルに格上げさせようとする。インドのICBM発射成功はアジアの浮上という概念が戦略的虚構であることを改めて証明した。
(*この文は2012年4月23日付国民日報に掲載された時論だ。)

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