新緑映える山の温泉で、60代後半の老学十数人が集った。みな熱心な中国語学徒だった。ある者は大学で後進を教える教員になった。ある者は商社で日中貿易のパイオニアになった。日中国交回復前の時期で、韓日中3国からなる「アジアの時代」を夢見て中国語に取り組んだ学生たちだった▼思い出話もあった。今は亡くなった教授がある日こんな質問をした。「中国人の眼は黒いが、中国語で目を意味する『眼晴』の『晴』の字にはなぜ『青』が入っているのか」。思えば「画竜点睛」にも「青」の字は入っている。その由来こそ忘れてしまったが、一生懸命学んだことはよく覚えている。学生たちが分担して一語一語の音を引き、単語の音読みのリストを作って読んだものだ。そうして読んだ老舎の作品は、深みと繊細さにあふれていたのを覚えている▼当時の中国語のクラスは40人。それが今や何と800人だという。在日韓国人社会で日本の変化と国際関係の変わりようをみてきたつもりだが、若人たちの学びの場はかくも変貌を遂げていたのだ。浦島太郎か井の中の蛙にでもなった気分だった▼それを上回る驚きを、ある同窓生がスピーチの中で語った。大学の秋入学移行への協議の中で、英語だけでなく中国語か韓国語を必修にしようとの計画が持ち上がっているらしいのだ。100年以上の歴史を持つ桜の春入学を、全世界60%の慣行に合わせて秋に変えるという試みだけでなく、語学の教育課程も変えて外国人学生を受け入れ、多様化を図る狙い。中国語と韓国語の位置づけが大きく変わるのは目前だ。