復興妨げる放射能の恐怖

家族引き離す例も
日付: 2012年03月14日 00時00分

 「普段の生活に戻っていますよ」。取材で会った福島に住む人は一様に口をそろえた。「街の様子も変わらない」と話すが、天気がいいにもかかわらず昼下がりの公園に子どもの姿は見えない。スーパーの野菜売り場には、1年前までなかった放射能の測定値が書かれている。
 郡山市で農業振興を担当する男性によると、水産物やきのこ類を除き、最近では国の基準値を超える放射能が検出されるケースはほとんどなくなった。モニタリングの情報は県のサイト「ふくしま新発売。」(www.new‐fukushima.jp/)などで随時公開している。4月からはさらに計測器の精度を上げ、サンプリングの数を増やして消費者に安全性を訴えていく。それでも負のイメージの払拭には時間がかかりそうだ。
 ほうれん草から放射能が検出されたとき、放射能が一度も検出されなかったきゅうりまで売れなくなった。原乳から基準値を上回る放射能が検出されたのは4月以降一度もないのに、売れ行きは芳しくない。地元のスーパーの販売員は「小さな子供を持つ若いお母さんは、『ちゃんと検査をしているぶん福島産の方が安心』という人もいる」と話し、地元産と県外産の野菜の売れ筋に違いはないと強調するが、夏場には贈答用の果物が大きく値崩れした。今年春からのコメの作付けは、地方によってできるかどうか不明。ハウスで育てられたり生育期間が比較的短い野菜類は大丈夫だというが、コメ栽培にはリスクがともなう。
 原発事故が福島を変えた。震災による街の復旧は進んでいるが、原発から20キロ圏内には手付かずの場所がまだまだ残っている。交通網も寸断されたまま。県内では比較的温暖な「浜通り」と呼ばれる地域を追われた住民は、寒い内陸を避けて太平洋に沿って南北に避難しているケースが多い。そのため南部のいわき市や北部の相馬市では好景気になっているというが、いつ地元に戻れるかという不安は避難住民の心に沈殿している。
 放射能への恐怖は家族もばらばらにした。県内で働く30代の男性は、県内の別の場所にある妻の実家に妻と幼い子供を避難させている。高校生の息子がいる女性は、今年の4月から息子が県外の学校に進学することが決まって一安心だと話す。
 「孫に会いたいけど、息子夫婦が福島に来たくないという」とため息をつく女性もいる。孫に会うには息子夫婦が住む東京に行かないといけない。庭に積もった雪の下から山菜が顔を覗かせても「食べられるかな」という考えが頭をよぎる。「春が来るんだ」と心から喜べる日がいつかまた来ることを願う。


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