祈りと悲しみと希望と

津波被害の宮城・名取市-東日本大震災発生から1年
日付: 2012年03月14日 00時00分

 宮城県仙台市の南部に位置する名取市。太平洋に面した同市は、昨年3月11日の津波などで911人が死亡する被害に襲われた。現在も55人が行方不明のままとなっている。1年後の11日、市内で合同慰霊祭が開かれた。悲しみを乗り越え、再興を誓い、犠牲者の安眠を祈る人々の姿が街の各所にあった。(溝口恭平)

名取市閖上地区で犠牲者に祈りを捧げる人たち

慰霊祭では1分間の黙祷が行われた

 3月11日、名取市東部、太平洋に面する閖上ゆりあげ地区。津波ですべてが流された浜に向かう道は車で一杯だった。1年前、名取市の沿岸部では900人以上が波に飲まれて亡くなった。行方不明者は55人を数える。家は壊れ、思い出の品々も流された。
 東北地方の太平洋側を南北に貫く国道4号線。名取市の辺りでは国道から海岸までは直線距離で約5キロ。道路沿いには商業施設が立ち並ぶ。1年前に巨大地震が襲ったとは思えないほど、国道沿いに地震の爪あとはない。
 しかし海に向かって3キロほど進むと、そこには荒野が広がっていた。田んぼにはいまだ撤去されていない漁船が、枯れ草の中に横たわる。さらに海に近い場所にあった住宅街は、跡形もなく姿を消していた。今は残された住宅の基礎だけがかつての街の姿を偲ばせる。11日の朝、閖上地区では家の跡地に花を置き、手を合わせる人の姿があちこちで見られた。
 「親孝行するようにとのことで『孝行』と名づけられました。家は裕福ではなかったですが、親孝行するのが当然と思ってきました。しかし今、両親はいません。『私の存在意義は何だったのか』と思ったこともあります」
 午後2時から行われた市の合同慰霊祭で遺族代表として挨拶した三浦孝行さんの言葉だ。三浦さんは続けて、「これからできあがる街に住む人が安心して生きられるようにすることが私たちの使命ではないか」と訴えた。会場となった大ホールだけでなく、ロビーを埋め尽くした市民も同じ気持ちだったに違いない。
 強い揺れに襲われた後、津波警報が鳴る中で「新築だから壊れるわけがない」と、逃げようという妻の言葉をさえぎって家に残った男性がいた。残された妻は今も後悔している。悲しみ以上の虚無感を抱きながら、被災者は少しずつ前に進まなければならない。


閉じる