あの日から1年経った。11日には各地で追悼行事が行われたが、家族を失ったある被災者の「悲しみに区切りも終わりもない」という一言が重くのしかかる。被害が少なかった地域では日常生活を取り戻している被災者もいる。震災前より生活はよくなったという人もいるが、「自分は運がよかっただけ」と答える。津波被害を受けた地域では、今も一面の荒野が広がる。一部には瓦礫も残っているが、この瓦礫を処理しないことには、街の再生はできない▼日本漢字能力検定協会(京都市)は昨年末、2011年を表す漢字に「絆」を選んだ。同じ日、市内の寺で「絆」と大書するパフォーマンスも行われた。これに違和感を覚えた人は少なくないだろう。確かに被災地の各地では絆を再確認させてくれる出来事が数多くあった。しかし、被災地の瓦礫受け入れを拒否している自治体があり、それが復興の大きな足かせになっているのは事実だ▼11日の追悼式典、宮城県の村井嘉浩知事の言葉に「瓦礫になっている材木や家具は、家族の愛着が染みついたものかもしれない」という意味の一節があった。自分の家や会社の一部が、今もどこかに放置されたままだと考えたときの被災者の気持ちはいかばかりか。福島県で震災から約1カ月間、1日3000個以上のおにぎりを避難所に届けたJA職員の話だ。「復興の『興』の字の中には『同』という文字がありますよね。みんなが同じ方向を見ないと復興はできないと思います」。被災地の復興は始まったばかり。今年はより多くの「絆」が生まれることを願いたい。