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在日本大韓体育会創立60周年特集
日付: 2012年02月15日 00時00分

 在日本大韓体育会(体育会)の創立60周年を祝う式典が10日、東京都内で開かれた。会場には400人以上が集まり、スポーツを通じた韓日交流や在日青少年の育成など、歴史と実績を重ねてきた体育会ならではの盛大な会となった。
会場となった帝国ホテルは400人以上の来賓や招待客で埋まった。本国体育会関係者や日本の体育協会やオリンピック委員会関係者が来場。両国のスポーツ界を結んできた体育会ならではの豪華な顔ぶれとなった。第2部では米国などで活躍する韓国人ジャズシンガーのウンサンさんが宴を盛り上げた。
 第1部の式典では朴安淳・体育会会長をはじめ韓日両国の関係者が挨拶。本国関係者からは体育会が行ってきた本国のスポーツ振興に対する貢献に感謝の言葉が並んだ。
  体育会は1953年の発足以前から、本国のスポーツ発展のために寄与してきた。1948年のロンドン五輪に出場する韓国選手団や、朝鮮戦争の戦闘が続いていた52年のヘルシンキ五輪への選手団派遣を支援。88年のソウル五輪では、民団と共同で100億円以上を集め、大会開催やインフラ整備のために大きく貢献した。毎年韓国で行われている全国体育大会への選手派遣では延べ9000人近い選手を送り出しており、国家代表に選ばれる選手も輩出している。
 式典では体育会顧問や地方の功労者などへの褒章授与も行われた。
 スポーツ関係者に贈られる褒賞としては最高の勲章になる青龍章を授与された許寧太・体育会常任顧問は「微力ながら韓日両国のスポーツ発展に協力できたことは嬉しい。今日の授賞を一生の誇りとして胸に刻み、今後も微力ながら体育会のために力を尽くすことを誓う」と述べた。また、体育勲章「巨象章」が、在日選手として初めて韓国代表で五輪(1964年東京大会の男子体操)を戦った鄭利光・体育会顧問に贈られた。
 第2部の晩餐会では、ゲストとの写真撮影や体育会にまつわるエピソードを語り合う姿があちこちで見られ、式典は盛況のうち幕を閉じた。

式典に華を添えた元アスリートの言葉 (写真右から順に)

モントリオール五輪 柔道銅メダル-朴英哲
 76年のモントリオール五輪当時は、やっと本名を名乗れるくらいの状況だった。本国でいろいろな経験をさせていただいたのは体育会の先輩のおかげ。気持ちは韓国人だ。
 スポーツは国を超えた友情を育むのに一番いい。在日の子どもや日本人の子供を一緒に育て、勝負を超えたところにあるものを示したい。


   
バルセロナ五輪 マラソン金メダル-黄永祚
 スポーツを通じて60年という長い間日本から韓国のスポーツ界のために力を尽くしてくれてありがたい。毎年国体に在日の選手を送り込んでいるのは偉大だ。

プロゴルファーS・K・ホ
 日本に来て11年目、ゴルフは個人競技だが、各地でいろいろな在日の方に親兄弟のように助けてもらっている。日本ツアーに参加している韓国人選手会のようなものを作りたいが、体育会に学ぶところは多い。

ラグビー元日本代表豊山京一
 今から40年前の高校3年生のとき、韓国国体に参加し、グラウンドで初めて生の国歌を聞いたときは胸が熱くなった。
 今年の五輪から7人制ラグビーが正式種目になるが、走力・キック・スタミナに長けた韓国に有利ではないか。何か役立てればいいと思う。

モントリオール五輪 バレー金メダル-白井貴子
 私のように韓国と日本の中間で生きてきたような人間を招いていただきとてもありがたい。現役時代は五輪の金メダルしか頭になく、それに向かって迷いなく走ってきた。
 韓国の選手は体格で日本の選手より優れているのになぜ勝てないのか。要請があればだが、韓国のチームを見るのもおもしろいと思う。

在日大韓柔道会理事長梁英守
 韓国の国体に選手を連れていって直近2大会連続でメダルを獲得している。今日ここにお見えになったメダリストの先輩方が生きているうちに、もう一度在日のメダリストを育てたい。

東京五輪 柔道銅メダル金義泰
 今の韓国はミュンヘン五輪のときの日本のよう。豊かになってきてハングリーさが足りない。ふんどしを締めなおさないといけない。今もいろいろな相談を受けるが、一歩引いた立場から見守りたい。

元プロ野球選手張本勲
 体育会は在日青少年のためによくやってくれている。最近は途絶えてしまっているが、青少年の野球の交流はすばらしいこと。プロの契約は選手流出の問題もあるので慎重にすべきだが、学生同士はもっと盛んにやるべきだと思う。

バルセロナ五輪 重量挙げ金メダル-全炳寛
 韓国人初の五輪メダリスト金晟集先生(重量挙げ)は、52年のヘルシンキ五輪で体育会の協力を得てメダリストになった。今後も両国の友好のために、選手の受け入れなどをしていきたい。

 

「ロンドンからソウル五輪スポーツ大国の礎を築いた諸先輩に感謝」-在日本大韓体育会第13代会長 朴安淳

 本会は大韓体育会の日本支部として、民団の傘下団体として、スポーツを通じた青少年の育成と韓日両国の交流促進という目的と使命のもとに結成され、創立60周年を迎えることができました。
 今から64年前のロンドン五輪。当時韓国のスポーツ復興と国際社会への復帰を願い、64万円の募金を集めたのが在日スポーツ選手たちでした。朝鮮戦争の最中に開催された52年のヘルシンキ五輪でも、当時のお金で約1000万円を集めて寄付し、22名の選手団を送り出しました。こうした先輩方の活動が実を結び、1952年に体育会の前身「在日本朝鮮人体育会」を発展的に解消させると同時に、大韓体育会の正式な日本支部として、53年5月5日に創立大会を開催したのが、本会の始まりです。
 本会は外国籍であるがゆえに活動の場を奪われていた在日スポーツ選手に、祖国の代表選手という夢を与えるため、53年より韓国の国体への選手団派遣を始め、多くの選手や指導者を輩出してきました。88年のソウル五輪では100億円以上の募金を集め、世界に誇るスポーツ大国韓国の礎を築きました。
 韓国スポーツの発展と在日青少年の育成に尽くしてこられた諸先輩の皆さま、体育会の発展を支え続けて下さった関係者の皆さまに重ねて感謝申し上げ、今後のご協力を賜りたい所存でございます。

 

<来賓メッセージ> 

新たな一歩を-駐日本国大韓民国特命全権大使 申珏秀 次世代育成の先陣-在日本大韓民国民団団長 鄭進
 韓国は88年のソウル五輪、02年の韓日ワールドカップ共同開催、18年の平昌冬季五輪など、世界の主要スポーツイベントを開催する数少ない国となりました。特にソウル五輪時のように在日同胞の献身的な支援と後援があったからだと思います。
 60年は人で言えば還暦です。新たな出発を模索する意義深い年を迎え、今後も優秀な選手をたくさん輩出されればと思います。
 体育会の輝かしい歴史と今日の隆盛は、歴代役員や関係者の熱意と努力の賜物です。本国国体への選手派遣では、青少年育成から五輪メダリストの輩出までしてきました。
 12年から始めたオリニフットサルは全国の同胞青少年が集う祭典になってほしいと思います。人材発掘や3、4世の次世代育成などに、民団は体育会とスクラムを組んで全力を尽くしていきます。
   
在日に恩返しを-大韓体育会会長 朴容晟 日韓交流一層強く-日本体育会会長 張富士夫
 私は旧・本国体育会のエレベーターや、現在の大韓体育会本部であるオリンピック会館の前の記念碑を見て、在日同胞の皆さんがいかに物心両面で祖国のスポーツの発展に寄与してこられたか感じていました。
 皆さんの後援に比べて、大韓体育会が恩返ししたものはあまりにも小さく、取るに足らないものであります。これから最善を尽くして恩に報いることを約束します。
 日本体育協会は1965年の日韓国交正常化を受け、68年から「日韓高校スポーツ交歓競技会」を開始いたしました。同事業の創設にあたり体育会は、大韓体育会と当会との間に立ち、重要な役割を果たしていただきました。
 将来を担う青少年が、競技力の向上とともに友情を育み互いの文化を理解することは、両国の親善と友好をより一層深めるものであると確信しております。
   
懸け橋に期待-日本オリンピック委員会会長 竹田恒和 スポーツ先進国へ-国民体育振興公団理事長 鄭井澤
 日韓スポーツ界の交流は在日体育会が組織された1952年を境に急速に深まりました。76年のモントリオール五輪では東京五輪の女子バレー監督だった大松博文氏が指導を行った韓国が日本を破り、球技で初のメダルを獲得しました。
 2014年に仁川でアジア競技大会、18年には平昌で冬季五輪が開催されます。両大会が成功をおさめ、世界平和の構築に貢献することを祈念します。
 体育会をはじめ在日同胞社会の助けに支えられ、韓国は名実ともにスポーツ強国になりました。今はスポーツ強国を超えたスポーツ先進国への飛躍と、スポーツを通じた韓民族のグローバルネットワーク構築を目指しています。
 ソウル五輪成功のために発足した公団の首長として、在日体育会への感謝の気持ちは格別です。韓国スポーツ界として皆様の役に立てるよう努力します。

 


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