自由統一論- history making(4)
金成昱
金正日の死が確認してくれた明快な結論は北韓体制の不安定性だ。2012年の大統領選挙でいわゆる「太陽政策」という名で金朝(金日成王朝)助けが反復されないと60年分断は終わりになるだろう。南・北韓の反動勢力の最後のあがきが必死だが、逆に自由統一と北韓救援の機会も一層大きくなるのだ。
筆者が全国を回りながら自由統一を説く時ぶつかる最大の障壁は「費用」だった。北韓政権を変えて(regime change)住民を救ってこそ韓国に跳躍の契機がくるという主張は常識に近い。だが、この常識は流通量そのものが非常に足りない。未だ「太陽政策」はもちろん、「老人性諦め」に陥った人々は「お金が掛かり過ぎる」という理由で自由統一を拒否する。初耳の主張に驚き、訝しく思う。
事実、費用が問題ではない。恐れをなす人々は、統一費用の他に中国を挙げる。中国の外に日本、日本の外にも大量難民、大量難民の外にも統一後の南北格差、南北の格差の外に異質感を語る。統一できない理由を次々にならべる。だが、聞いて見ると「今が良いのになぜ変えねばならないのか」という利己的信念(?)の持ち主か、「われわれに果たして統一ができるのか」という自暴自棄に陥っている人々だ。自国の問題と思わず、北韓がどうなるのかと傍観者の立場で憂慮する。
「費用のために統一できない」という確信は、いわゆる従北勢力はもちろん、「自称保守」勢力の内にも少なくない。保守は本来不変の価値を信じる人々を指す。変わらない真理があることを信じる宗教的保守を除けば、保守は一つの国の枠の中で憲法的価値を信じる。憲法に従う保守的観点では、北韓の解放と救援、自由統一は必ず成し遂げねばならない何かだ。
そういう意味で、統一費用云々しながら拒否する韓国の保守は「自称保守」に過ぎない。贋物の保守だ。北韓人民に、お金のために、「お前たちは金氏王朝の奴隷として生きろ」という話は保守が言ってはならない言葉だ。同じ同族として、同じ国民として、何よりも同じ人間として言ってはならない言葉だ。
2012年1月、ハンナラ党で綱領から「保守」という言葉を抜くかの論議がおきた。厳密に言ってハンナラ党は「保守」という単語を外すのが正しい。どうせ北韓解放の意志や保守的信念が欠けた、「自称保守」、贋物の保守に過ぎないからだ。
「自称保守」や贋物の保守の観点は休戦線の以北は見えない。認識そのものに南韓のみが存在するだけ、北韓は無いと思う。彼らは、国家を滅ぼす反逆や利敵に断固たる措置も取れず、腐敗・反則・特権を無くすという空しい宣言や左派式福祉ポピュリズム政策ばかりを吐き出す。落胆している青年と失望した大衆に、「(自分たちの)既得権を減らすから票をくれ」ともの乞いをする。すべての思いが休戦線以南の狭い地に固着されている。
希望は青年にある。経験則から津々浦々どこでも「北韓を開いてこそ失業も不況もなくなる」という統一強国論は青年に歓呼の対象だった。それで、時間が経てば「統一費用論」でなく「統一強国論」が大勢になることを信じる。流れは必ず真実の方に向きを変るはずだ。