韓米FTAの批准で実現された「青年李承晩の夢」

日付: 2011年11月27日 23時23分

金孝善(ニューデーリの李承晩研究所事務総長)
韓米FTAが批准される瞬間目頭が熱くなった。金先東の催涙ガスのためでなかった。
やればできるという覚悟で成し遂げたという自負心のためだった。青年期から輸出立国を主張した李承晩もこの眩しい快挙で天で喜びの涙を流しただろう。大変な覚悟と骨を削るような超人的な努力が無かったら無一文の乞食の国の未来は絶望だった筈だ。
そうだ。大韓民国は無一文の乞食として生まれた。この無一文の乞食が生まれた当時、世界のどの国も大韓民国が日本や中国と競争できると予想できなかった。それどころか、1950年代に英国のある新聞は、「韓国の民主化を期待することはごみ箱から薔薇が咲くのを望むのも同然だ」と言った。
しかも、生まれて間もなく、「6.25動乱」ですべての産業施設は破壊され、全国土は焦土化されて戦争の傷だけだった、無一文の乞食よりも悲惨だった大韓民国がなした韓米FTAだから、その意味は一層貴重で大きい。
▲大韓帝国末20代の終身囚だった李承晩が監獄の中で著述した「独立精神」
1904年、漢城監獄に投獄された29才の青年李承晩は、大韓帝国の独立保存が危うくなるや、国民に独立精神を目覚めさせるため《独立精神》を執筆した。この本の中で青年李承晩は、独立の重要性だけでなく、どうすれば富強な国になれるかに対する解法も提示した。
李承晩は、独立精神実践の6大綱領の最初の項目で、国際社会への大韓帝国の開放を主張した。それほど富国の根本は国際社会との交流にあると考え重要視した。李承晩はその理由を、国際社会と交流している国々が繁盛し対等な地位を享受しているだけでなく、通商は国を富強にする根本になりお互いに利益になるからだと言った。
ところが、われわれの市場だけを開放したら利益は全部外国人が取り、われわれには損になるため、われわれも外国に出て、外国の商業の実状を観察した後、彼らがやるように努力しわれわれが直接輸出入を主導してこそ利益を得ることができると書いた。
▲1910年米国プリンストン大学で博士学位を受けた李承晩
青年李承晩が輸出立国を主張してから100余年が経った今日、大韓民国は世界経済規模の61%に達する「経済領土」を確保した。それだけでなく、日本と中国を抜いて貿易戦争で有利な高地を先占した。中国は歴史的にわが民族の宗主国を自任した国で、日本はわが民族に35年間統治した国だ。ところが、日本の植民統治から解放されて66年、建国して63年ぶりに中国や日本との貿易戦争でわれわれは優位を占めたのだ。
▲韓米防衛条約を結んだ直後1954年米国を国賓訪問した李承晩大統領夫婦とアイゼンハワー大統領夫婦。子供たちはアイゼンハワー大統領の孫や孫娘.(*右写真)
EUやアメリカとのFTAを結んだことで、韓国は世界経済の61%を占める地域と自由に通商するようになり、これは世界の重要工業国の中でも高い割合だ。韓米FTAは経済的利益だけでなく、国際社会で大韓民国の国家ブランドを高められる。予測不能の北韓の脅威のため、今まで大韓民国は国際社会で相応の評価を受けられなかった。
韓米相互防衛条約がわが国の安保を支える軍事同盟なら、韓米FTAは米国との経済同盟と言える。振り返って見ると、米国との経済同盟が可能になったことも李承晩が渇望し締結した韓米相互防衛条約が基礎となった。李承晩は大韓民国に掛け替えのない貴重な遺産を残した。

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