金日成の決定的な敗着-「1.21青瓦台襲撃事件」

韓国現代史の決定的瞬間ら(2)/「1.21事態」は、経済開発に集中していた朴正煕大統領を刺激し、全面的な対応策を招いた。自主国防力の建設、重化学工業建設、予備軍創設、新しい村興し運動など。
日付: 2011年11月24日 00時25分

趙甲済
1968年1月21日の夜、北韓軍特殊部隊の「青瓦台(大統領府)襲撃事件」は、1950年6月25日の南侵に続く金日成の決定的敗着だった。「6.25南侵」がなかったら韓米同盟も、朴正煕大統領の登場もなかったはずで、韓国はベトナム式で共産化された可能性が高い。
「1.21事態」は、経済開発に集中していた朴正煕大統領を刺激し、全面的な対応策を招いた。自主国防力の建設、重化学工業建設、予備軍創設、新しい村興し運動が北韓の威嚇に対応する過程で進められた政策でありすべてが大成功した。国産武器を生産するためには重化学工業という基盤がなければならず、農民社会に共産主義が潜入できないようにするためには新しい村興し運動を通じて所得を高めねばならず、ゲリラの後方潜入は郷土予備軍を以って防ぐという戦略を進めたわけだ。
朴大統領は、「片手に槌を持ち他の手には銃を持って、戦いながら働き、働きながら戦う」というスローガンの下で経済開発優先政策のため疎かにした軍事力の建設にも邁進したことで1970年代の中盤になると南韓の軍事費支出が北韓を凌駕し、中東建設市場のブームにのって1人当りの国民所得も北韓を追い越す。金日成の冒険主義が寝ていた獅子を起こしたわけだ。
北韓は1960年代に軍事力建設第1主義を押し進めた結果経済が疲弊し、南韓は1960年代に育てた経済力を土台にして1970年代に自主国防力の建設に乗り出したことで北を圧倒するようになったのだ。1980年代になってからは在来式軍事力において遅れた北韓が核兵器の開発に本格的に取り組む。
金日成が朴正煕を殺そうとした青瓦台奇襲事件は、朴正煕の逆転勝で終わったわけだ。金日成の挑発に対して朴正煕は建設と生産を以って対応して勝ったのだ。善意が悪意に勝ったのだ。
www.chogabje.com  2011-11-23 22:50

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