孫鶴圭と鄭東泳に指令が降りてきたのか?

共産党が「賛託」(*信託統治賛成)のため衰退し始めたように、民主党と孫鶴圭や鄭東泳氏も韓米FTAへの反対で滅びるのではないかという予感がする。
日付: 2011年11月22日 11時25分

趙甲済
李承晩が共産党を売国集団と規定するラジオ演説をした直後の1945年12月26日、モスクワで開かれた米・英・蘇の3国外相会談は、南・北韓に対する5年期限の信託統治案を発表した。金九と李承晩が主導した反託運動が全国的に起きた。朴憲永の朝鮮共産党は熱火の如く民心に動揺して賛反を決められなかった。指令が降りてこなかったためだ。
 
朴憲永(*左写真)はソウル駐在ソ連領事館を訪ねて指針を受けようとしたが、領事館側は本国から訓令を受けていないと言った。朴憲永は12月28日の夜秘密裏に38度線を越えて平壌へ行った。彼は金日成など朝鮮共産党北朝鮮分局幹部らに信託統治に対する南韓の民心が反対だと説明した。金日成もどうしたらいいのか分からながった。モスクワに行ってきた北韓駐屯ソ連軍民政司令官のロマネンコが平壌に戻った翌日、朴憲永に指針を命令した。信託統治を決議したモスクワ協定を支持しろということだった。
 
朴憲永は1946年1月1日の夜平壌を出発、2日明け方にソウルに到着し、金日成と歩調を合わせて朝鮮共産党の名でモスクワ協定、つまり「信託統治」支持声明を発表した。李承晩の1週間前の予言通り劇烈共産主義者たちは民心に逆らって、ソ連の指令に忠実に服務することで民族反逆者としての面貌を表わした。彼らはスターリンの指令に従って、絶対的な反信託統治の民心に逆らうことで回復不可能な敗着を置いた。左翼は売国勢力に、右翼は民族陣営になったのだ。
 
韓国の普通の人々の胸中に「は付き合えない奴ら」という烙印を押した「賛託」決定は、共産党が人民の指令でなくスターリンの指令をもっと重視したためだ。
 
ほぼすべての世論調査によれば、今国民の絶対多数は韓米FTAに賛成する。孫鶴圭民主党代表と鄭東泳前大統領候補(*右写真)も盧武鉉政権でFTA賛成者だった。ところが反対に回ったのは何の理由なのか? 自分の良心と民心に反するこういう豹変はどこから指令が降りてきたためということなのか? 到底無視できない指令でないなら、人間がこのように変わって敗着を置くことができるだろうか?
 
共産党が「賛託」のため衰退し始めたように、民主党と孫鶴圭や鄭東泳氏も韓米FTAへの反対で滅びるのではないかという予感がする。韓米FTA反対は「第2の賛託」になるだろう。
 

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