日本で政治主導が叫ばれて久しい。その叫びとは裏腹に政治は主導権を握れずにいるが、それは世界中の先進国に共通する課題だ。国民の信を失い、特に日本では福島原発事故以来、為政者の指導力が感じられなくなった▼今はギリシャがいい例だろう。政府が巨額の財政赤字で信認を失い、政策に必要な資金力がなくなると、政府は無能化した。それは日米欧の先進国にも見られる。予算は資金と執行力だからだ。経済が成長しているときは、企業と世帯の所得が伸び、税収も増え、政策に使えるマネーも増えた。こういう時の政府は有能に見える。ところが支出が増えて税収が減ると、政府予算は借金(国債)で実行される。その国債が市場で信認をなくすと、資金調達が難しくなる。こうなると約束した政策の実行ができなくなり、政治が指導力を喪失してしまう。大統領制や議員内閣制という制度問題でなく、政府のマネーの有無の問題になるのだ▼政府マネーを執行する官僚は、民に仕える公僕でなく自身の方針で国民を支配しようとしがちだ。選挙で選ばれていないのに、自分たちは国民の上の階級と考える官僚がいかに多いことか。政治はその官僚を統制できないばかりか、国民の意思を代議し、統合するための機能を果たせずにいる▼今回、ソウル市長選挙で韓国の若者は既存の政党政治に「ノー」を突きつけた。対立と徹底抗戦で妥協できない既存の政党政治に嫌気がさしたのだろう。そこに左派も右派もない。若い世代が突きつけた課題を取り込めないと、与野党ともに敗れる。微笑むのは北だけだ。