北韓住民の比較能力を育てよ!

日付: 2011年10月18日 02時43分

柳根一
日本へ漂流してから韓国にきた脱北同胞たち(*左写真)の陳述によると、最近「3代世襲」が進行中の北韓現実に対する住民たちの不満がますます漸増していると言う。北韓当局もそういう動向に極度に緊張しており、住民への統制も一層厳しくなっていると言ったそうだ。産経新聞が報道した。
それでは北韓住民の心にも今やある程度比較能力のようなものができつつあるということだろうか? 比較能力こそ人間が人間的属性を回復する第一歩だ。あそこはああなのに私たちはなぜこうなの? こういう懐疑が生じるほど虚偽の鉄甕城にはひびが入り始める。堤防に針の穴ができれば、それはいずれは風穴へと大きくなることになっている。
それでは、われわれがやれるし、やるべきことの核心が浮かんでくる。その比較能力を育て続ける方途を取ることだ。どう育てるのか? 政治や経済理論以前に広い意味の韓流を浸透させ続けることだ。南韓の日常生活像を撮ったビデオを沢山送ることだ。日曜日ソウルの漢江の河川敷に出た家族が楽しく過ごす姿、一般家庭の節日の光景、大学生たちのキャンパス情景、在来市場の活気溢れる様子、高速道路と高速列車、連休期間の仁川空港出国場の風景(*右写真)...
比較能力が大きくなるほど北韓は二重構造になる筈だ。外皮と中身が乖離する。皮が薄くなり中身が厚くなる筈だ。人為的にどうしようとせず、その状態がずっと深化するようにすればいい。そうしながら、不安な北の権力者が対南挑発で危機を脱出しようとする誘惑に駆られないように圧倒的な抑止力と報復能力を拡充することだ。これよりもっと確実な対北政策が他にあるだろうか?
外国へ留学したという自称北韓専門家たち、対北政策で暮らしを立てている関連政治家たちや当局者らは、自分たちの用途を極大化するためできもしない対北ふろ敷包を度々広げようとする。この好事家たちの物好き趣味が問題だ。むずむずしてじっとしていられない。彼らは対北政策を実験としてやったり政治商品化することで対北政策をしばしば徒労に終わるようにしてきた。
じっとしているのが最も適切な、あるいは不可避な方途である時が多い。そうしながら、じっとしてばかりいてもいけない。まさに、北に韓流をもっとたくさん拡散させ住民の心をこちらに向かわせることだ。それは金正日だってどう防げるだろうか?

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