自由を上納する人間たち

自分一人だけが生きるため左派に秋波を送るこの社会の企業家-言論人-知識人たちは、ホロコーストに協力したユダヤ人指導者たちに酷似している!
日付: 2011年09月28日 11時09分

鋼鉄軍靴
明け方、寝付かず寝返りを打って起きて文を書く。この頃の世の中の様子のためか、それともこの数日間読んだ本のためか、心が安らかでない。
この数日間、ハンナ・アレントの「エルサレムのアイヒマン」という本を読んだ。「悪の平凡性に対する報告書」という副題がついたこの本は、ドイツ系ユダヤ人の政治思想家である著者がユダヤ人虐殺の核心責任者の一人であるアドルフ・アイヒマンの裁判を見守った記録だ。
この本は、失敗したセールスマン、没落した中産層の小市民に過ぎなかった一人の男が、どのように600万ユダヤ人を虐殺する主役になったのか、その一方、どうすればそこまで自分が犯した犯罪に対して無心であり得たのかを探求した本として有名だ。
ところが、この本を読む終始私の関心を引いたのはアイヒマンの意識構造でなかった。それよりは600万人ものユダヤ人が死の収容所へ歩いて入った過程がもっと興味深かった。もちろん、ユダヤ人たちを死に追い込んだのはナチスの全体主義の銃剣だった。しかし、それが全部ではなかった。その裏にはユダヤ人たち、特にユダヤ人上層部の自発的な協力があったのだ。
ホロコストに協力したユダヤ人の指導層
ナチスはほとんどの場合、ラビや長老、企業家、知識人などユダヤ共同体の指導層の人士たちで構成された「ユダヤ人委員会」を構成した。その下にはユダヤ人警察も置いた。「シンドラーリスト」のような映画にベージュ色の制服を着て帽子と胸に「ダビデの星」を付け棍棒を振り回す者たちが彼らだ。
ナチから権限を委譲されたユダヤ人の「自治」組織を標榜した彼らは、ナチの手足になってユダヤ人たちを居住地から疏開してゲットーに追いやり、財産をドイツ当局に納め、終局には強制収用所へ向かわせる役割を担当した。
そういうことをやりながら、彼らは自分たちがやることが同族の自由と生命を剥奪することであることが分からなかった。その道の果てが結局は死であるのが明らかになり始めた時も、彼らは「少数の命を犠牲にして多数を救うためのこと」と努めて自慰した。もちろん、最後には彼らも棄てられてアウシュビッツ(*右写真)のガス室の運命から逃れられなかったが….
収容所へ送られるユダヤ人たちも順応的だったのは同じだった。彼らは自分たちを2等市民に転落させるニュルンベルク法から始めてゲットーを経てアウシュビッツのガス室に至るまで、各段階ごとに「順応」した。自由のため闘争するよりはその段階で安住する道を選んだ。その結果は絶滅だった。
アイヒマンも、アレントも、そしてユダヤ人虐殺問題を研究する学者たちも、同じ声で言う。ユダヤ人委員会の自発的協力がなかったら、600万人ものユダヤ人がそういう形で死んではいなかったと。
左派に秋波を送る
この話を読みながら背筋が寒くなった。今日の韓国社会の姿がナチによって殺されたユダヤ人たちと違いがないと考えたからだ。
今日、韓国社会の理念葛藤の中心、南北間体制対決の中心には「自由」の問題がある。政治-経済-社会的領域で「自由」を護り抜くことがこの対決のアルファでありオメガだ。この戦いで「自由」を護ろうとする勢力が徐々に押されてつつある。
その理由の一つは、持ちたい程持った者、享受したい程享受した者たちの中で理不尽なことをやる人々がいるからだ。「自由の敵」らに秋波を送る者、「自由の敵」らに賄賂を送る者がまさに彼らだ。そういう者を数えきれない程見る。
左派媒体に広告を与え、「左派市民団体」に支援金を与えて、数千億ウォンを社会に擲つ(?)と、そういう形で「保険」を掛けておけば、有事の際自分は大目に見てくれると期待する企業家らが代表的だ。
「ハンギョレ新聞」や「京郷新聞」の記者たちが失職しないように配慮したのも、朴元淳弁護士(*左写真)を今日ソウル市長席に挑戦しながら「10年あれば完璧に変えられる」と大言壮語できる大物(?)に育ててあげたのも、まさに彼らだった。
左へクリックすれば「進歩的」知識人らが認めてくれるのではと錯覚する言論、左派知識人らと付き合いながら「私は保守だが『守旧の石頭』とは違う」と馬鹿な真似をする一部の前職高官や右派知識人らも彼と変らない部類だ。
「アスファルト(街頭闘争の)右派は下品だ」だのと言いながら、「中道実用」という幻想の中に黄金のような時間を費やしてしまったMB(李明博)政権の人々は言うまでもない。
彼らを同族を死に追いやりながらも自らは生き残ることを期待した「ユダヤ人委員会」のユダヤ人指導者らに比喩すれば、やり過ぎだろうか?
この夜、彼らの面々を思い浮かべながら私はアウシュビッツで死んでいったユダヤ人たちを思う。自分が享受した市民権を放棄すれば、自分が持った財産を出せば、ゲットーでの人生を甘受すれば、同僚のユダヤ人たちの生命を提供すれば、自分は何とか生き残れるという愚かな期待を繰り返して死んでいった「バカな」ユダヤ人たちを、だ。
彼らの中でも「最も馬鹿」は、同族らを啓発し導くべき位置にありながらも、彼らを死に追いやることに先頭に立ったユダヤ人委員会の指導層だった。
運命に立向かってった者らが生き残った
ハンガリーのユダヤ人委員会を導いたルドルフ・カストナ博士は、1684人の「指導的」ユダヤ人(ここには彼の家族も含まれる)を救出した。その代価として彼が犠牲にさせたハンガリーのユダヤ人は47万6000人に達した。
カストナは、自身の行動を同族を救うための苦悩の決断と自慰したが、戦後彼の行跡が明らかになって結局同族の手で殺されてしまった。自分だけが生きるためもがいた人間の惨めな末路だった。
もちろん、すべてのユダヤ人がそうしたわけではない。ハンナ・アレントは「エルサレムのアイヒマン」で、その数は少なかったが、死の収容所に行く隊列から必死に逃げた人々、パルチザンやレジスタンスに加担したユダヤ人たちの事例も紹介している。彼らは羊のように従順に死ぬより抵抗を選択した人々だった。
ナチの大虐殺で生き残った人々はまさに運命に立向かって戦った人々だった。もちろん、その過程で犠牲になった人々も少なくなかった。だが、従順に収容所に引かれて行った場合よりは死を覚悟して戦った人々の生存費率が遥かに高かった。
今、われわれは自由と繁栄を護る抜くのかどうかの岐路に立っている。ある意味では、金大中-盧武鉉政権の時よりもっと厳しい環境に置かれている。
だが、ここで諦める訳には行かない。ここまで来るため流した父母の血と汗と涙のために、生き生きとした甥の瞳のために、ここで止まる訳には行かない。この明け方、静かに誓ってみる。われわれは収容所へ従順に引かれて行ったユダヤ人の前轍を踏むまいと.....

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