朴槿恵と安哲秀

日付: 2011年09月14日 17時17分

柳根一

「安哲秀現象」は韓国の政治を新しい局面へ入るようにした。この局面は三つの側面で整理して見ることができる。まず、注目すべきことは安哲秀氏個人よりも、「安哲秀現象」、あるいは、安哲秀追っかけ(follower)たちの存在そのものだ。安哲秀氏がソウル市長選挙に出馬しようがしまいが、来年の大統領選挙に出ようが出まいが、これら場外の草の根の現象は10月のソウル市長選挙と2012年の大統領選挙において無視できない変数になるだろう。

安哲秀フォロワーは、具体的には移り気の有権者、これもあれも嫌いだという無党派、ポストモダン(脱近代)の有権者、急進過激ではないとしても不満、食傷、幻滅に満ちた若い遊牧民たちだ。彼ら現代のデジタル流浪民たちは、安哲秀というキャラクターを通じて既成政界に大恥をかかせるほどの驚くべき破壊力を誇示した。一度始動した彼らのパワーは、2012年の大統領選挙まで「認定闘争」を続けるだろう。

もう一つは、安哲秀氏は理念や陣営に縛られるのを好まない人のように振る舞ってきたが、実際には風を起こしてそれを左側に与えたという事実だ。それで彼の超理念的な抽象性は、現実政治では左側に着陸した。彼のフォロワーたちも「このXあのX全部嫌いだ」と話はしただろうが、今のところその70%が朴元淳氏の頭の上に落下した(どういう世論調査でも)。韓半島のように苛烈な理念対決の現場では、無党派として始めても結局は党派性に帰着するというアイロニーだ。
そしてもう一つ、「安哲秀現象」がもたらした政治的効果だ。「安哲秀の風」は、韓国政界を「汎左派vs.朴槿恵」の決勝戦を急速に操り上げた。野側には「汎左派+安哲秀」の融合が成立した反面、与党側には朴槿恵氏以外の超大型の競争者が見られないからだ。それでは「汎左派」の矢はこれから本格的に朴槿恵という標的に向かって飛ぶ。朴槿恵氏はもしかすると「神秘の煙幕に包まれた女神像」に留まり続けたいかも知れない。しかし、相手が矢を射まくる場合、彼女は嫌でも矛と盾を持ち出さざるをえない。「朴槿恵の非神話化」であるわけだ。
それなら朴槿恵氏はこれから何をどうすべきなのか? 彼女は何よりも今が危機であることを認めなければならない。「安哲秀病に罹りましたか?」と踏み潰すべきでない。朴槿恵の危機、ハンナラ党の危機、保守の危機を読まなければならない。朴槿恵の危機は「朴槿恵大勢論」という傲慢な楽観論が招いた危機だ。ハンナラ党の危機は「めちゃくちゃな」政党が自ら招いた危機だ。保守の危機はこの二つの危機が保守全体に背負い込まれた危機だ。朴槿恵氏がこの三重の危機を危機でないと否認するほど彼女はもっと大きな危機に陥る。
朴槿恵氏がこの危機を克服するためには、彼女が保守層と安哲秀フォロワーに向けて変わった朴槿恵の姿を見せなければならない。冷たい朴槿恵 、高い所の朴槿恵、「いとしの君は彼方に」でなく、熱 朴槿恵、低い所の朴槿恵、「近いあなた」を感じさせなければならない。保守層には「君への一片丹心」の根を表し、安哲秀フォロワーらには「よりましな代案は、オールドレフト(旧左派)的な原理主義でなく開かれた社会のリモデリング」であることを説得しなければならない。
朴槿恵氏の困難はそこで終わらない。まさに、「めちゃくちゃ」なハンナラ党では安哲秀フォロワーたちどころか、保守の票すら束ねられるだろうかということだ。ソウル市無償給食住民投票の直後、保守の一角はハンナラ党に厳しい言葉を吐き出している。「左派の執権を覚悟してでもハンナラ党をそのまま赦してはならない」、「ハンナラ党への創造的破壊をしなければならない。」
朴槿恵氏はこういう言葉が「李明博のハンナラ党」に向けられたもので、自分はそこから離れていると考えるかもしれない。だが、今は違う。朴槿恵氏は原点に戻って視界を見直さねばならない。そうすると「創造的破壊」の衷情が分かる筈だ。「大韓民国は生まれて本当によかった国」と信じる人々と希望を分かち合いたいならの話だ。
柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub  2011.09.14 00:44

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