辛容祥民団中央常任顧問
韓明淑・元国務総理が今年の5月23日、故・盧武鉉前大統領の2周忌式典で、太極旗の上に設置された盧前大統領の追悼碑に献花した(写真)。これに対し、民団中央本部の辛容祥常任顧問は、8月18日付で韓国の「東亜日報」に、韓元総理らの行為を糾弾する文書を寄稿。それに加筆したものを紹介する。
2周忌式典からやや遅れて6月半ばに韓元総理の一件を知ったとき、私は義憤を抑えることができなかった。
元国務総理が自国の国旗を踏むという前代未聞の事態に対し、検察は「国旗冒涜罪」容疑で元総理の捜査を進めているが、これは個人の処罰だけで到底済まされるものではない。
追悼行事を主催した故・盧武鉉追悼碑建立推進委員会の責任者に対しても、どのような意図を持って言語道断の暴挙が挙行されたのか事態の解明を急ぎ、国民に全容を知らせねばならない。悪意を持って太極旗を否定したい人だったのではないかと疑わざるをえないからだ。
私たち在日韓国人は、大韓民国を誇りに思っている。その国旗である太極旗は、私たちの心のよりどころである。異国にあっても私たちは各種行事の始まりに国民儀礼を行い、必ず太極旗を掲揚して敬礼し、祖国に忠誠を誓う。
国旗を地面に敷いてその上に物を置いたり、人がそれを踏みつけたりすることは、私たち国民の頭が踏みつけられたり、足蹴にされたりするのと何ら変わりない。韓元総理の行為により、私たちは想像を絶する侮辱を受けたことになるのである。
国旗は国家の象徴であり、公的行事や公的機関で掲揚され、国家的な弔慰を示す場合には半旗か弔旗にするのが国際的な慣例になっている。反対に、ある国を否定したり侮辱したりする時には、その国旗を踏みつけ、さらには焼き払うこともある。
しかし、自国の国旗を踏みつけるという蛮行はいまだ聞いたことがない。ましてや韓氏はかつて国務総理という重責を担った人物である。
韓元総理に一抹の知性と愛国心があったなら、まず太極旗の上に置かれた故・盧武鉉前大統領の追悼碑を撤去させていただろう。碑石が国旗を踏むのと韓元総理が国旗を踏むのとはまったく同類であり、ともに許すべからざる国旗への冒涜である。
例えば日本人が太極旗を踏みつけたら、私たちはこれを見過ごすことができるだろうか。それが、かつて私たちの最高指導者だった者が自国の国旗を踏んで、平然としているとは…。
我が民族は日本の帝国主義による植民地支配によって、亡国の民におとしめられた。大韓民国国民が再び自由を手にしたとき、歓喜の手に打ち振られたのは太極旗だった。
これは遠い昔の話ではない。歴史の教訓をわきまえずに、大韓民国は一体どこに行こうとしているのか。まったく寒心に耐えない。
六十数年前に勝ち取った自由大韓民国の象徴である太極旗を冒涜するということは、国家建設の礎になった英霊や世界に冠たる国として飛躍する今日の勇姿すら否定することであると肝に銘じるべきである。
当局は太極旗を踏みつけた韓元総理と地面に敷いた太極旗の上に追悼碑を置いた主催者の処分はもちろん、このたびの不祥事を肝に銘じ、大韓民国の正統性を揺るがす一切の行為を二度と引き起こさないための戒めとすべきである。政府と司法当局は事件をうやむやに放置せず、しかるべき者をしっかりと処断すべきだ。
韓元総理の行為によって、国旗への尊厳性は著しく傷つけられた。私が最も恐れているのは、それが当然のようになることだ。その点で、韓元総理は悪しき前例を作ったといえる。このようなことは2度とあってはならない。
私が韓元総理に強い憤りを覚えるのは、何も彼女が法律に背いたからというだけではない。それ以上に、私たちの愛国心を傷つけられたことに対するある種の道義的怒りの方が大きい。
在日韓国人を含む我が国民が、韓民族のあるべき姿の堅持と、このような不祥事を断じて許さない確固たる精神風土を韓半島に築くことを、異国に住む在日韓国人として強く願うものである。