呉世勳、死を選んだことで生きた

日付: 2011年08月22日 01時56分

柳根一
呉世勳ソウル市長が無償給食問題の住民投票で負けると市長職を辞退すると宣言した。背水の陣を敷いた将帥の悲壮さのようなものが滲み出る。ハンナラ党の者らが「そうやって補欠選挙で市長職を民主党に奪われたら」など何とか言って引き止めようとしたそうだが、そういう小心者的な言説に振り回されてはいけなかったはずだ。
今まで左派は投票不参を扇動し、ハンナラ党の劉承旼のような奴は公然と呉市長の住民投票決断を排斥した。こういう内外の包囲網の中で呉市長は大統領選挙出馬も放棄し、市長職も辞めると言った。それほど彼は左派とハンナラ党のポピュリズムに立向かって自身が正しいと信じることのために身を捨てる態度で一貫した。
こういう身の振り方はハンナラ党や李明博政権からは一度でも見て死のうとしても見られない資質だ。現執権勢力は正当な戦いさえ回避する臆病者、延命のためには自身のアイデンティティまでも古い靴のように捨てる日和見主義者たち、強い(左派)奴には尻尾を巻き、弱い(右派)奴には無視するばかりの、何事にもあれこれ顔色を窺う恥知らずめたちだ。呉世勳市長はこういうハンナラ党に「私はそうは生きるまい」と宣言したわけだ。
呉市長は「人生は長く政権は短い」という鉄則に照らして、目前の市長職や当面の大統領職への挑戦を諦めた今日の決断が遠い先を見た勝負では決して損でないことを確信しても良い。真の政治家とはどういう人物なのか? 彼は政治屋でなく将帥でなければならない。将帥とはどういう人なのか? 死を抱えて生きなければならない人だ。毎瞬間死を覚悟して戦いに臨まねばならない人だ。
士禍に巻き込まれ賜薬を受けながらも孤高に原則を守った昔の士人たち、そして白衣従軍の侮辱を受けながらも忠節を守った忠武公の姿が真の政治のリーダーのモデルであるべきだ。その通りにはできなくても、そのモデルに遠くからでも絶えずついて行こうとする心の指向だけでも持つべきだろう。ハンナラ党や李明博政権はその正反対側にある。
呉世勳市長は投票の結果によっては市長職を辞めるかも知れない。だが、その場合でも彼は今日のハンナラ党的な卑屈の政治家像をぶっ壊した痛快な抵抗者として記録される筈だ。そしてその拒絶は彼を保守政界の一人の嘱望される旗手として浮上させるだろう。いや、すでに浮上させた。彼は死を選んだことで生きた。呉世勳、ファイト!

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