ビンラーディン射殺-国家とはそんなもの

日付: 2011年05月05日 17時29分

柳根一

朝日新聞
一部のオピニオンリーたち意見引用してオサマビンラーディン射殺国際法的適合性疑問を表するような記事を載せた。とんでもない話だ。テロで
5千人余りをしたらそれ以上何射殺適合性必要なのか?

さずにきたまま逮捕すべきだったという声もえたが、それは戦争や戦闘現場性が分からない話だ。そういうをする々に人間盾にして決死抗するテロリストと一度直接立かってみることを勧告する。
ビンラーディン射殺ながらまずじることは、「ア、国家というのはこういうものだね」ということだ。国家というのはそんなものでありそうであるべきということだ。10が経とうが20が経とうが、自国と国民生命財産をビンラーディンのようにった容赦しないということがそれだ。そういう能力と意志のない国家結局は「外見だけの国家(facade state)」という意味だ。
いことがいというふうに相手方条理にただに済ませてやるほど、相手の癖だけをくするばかりで、そうしたら結局は鼻輪をつけられる身に転落するだろう。
一人の孤立し失踪兵士救出するためがどれほどきな犠牲を冒して侵透作をするかはハリウッドても分かる。たとえフィクションであり画ではあっても、そういうエートスがあるからそういうが作られるはずだ。
こういうことを
ながら自然がる質問は、「ところで、われわれは?」ということだ。われわれたしてどうか? われわれ天安艦爆沈や延坪島砲張本人の金正日してどう対処しているか? そういうことを糺さず金正日と条件首脳会談をしようとする汎左派はさて置き、おそらく権側の内部にも一人や二人でなかったはずだ。
われわれ
はまた、国軍捕虜問題をどう取扱っているのか? 金泳三や金大中政権のは「転向長期囚」を北送しながらも国軍捕虜拉致された漁夫を一人してもらえなかった。そうやって金正日がちょっとでも反応したか? そういう腑抜けな行動をするのがたして国家? ずかしくて誰にも言えない。
人格があるように国家にはがある。大韓帝国にわれわれは格が維持できなかった。無力えがりなかったためだ。それでびた。やっとをたてたのが「6.25南侵」撃退後、産業化と民主化以後だった。この何ら所得もなかった「左派太陽」で再びめた。(北へ)えてから(北から)やられ、やられてもまたえ、そしてまたやられながら。
金剛山で朴ワンジャ照準射殺害され、臨津江水門開放地域住民水葬され、天安艦と延坪島でわが将兵たち住民たちが非命横死されても、政界の一部や政策部門の一角は、らず陰に陽に条件首脳会談」や「条件対北支援(は金正日支援)」をひそひそと陳言するだろう。魂の無いソフィストらとでもおうか。
らしい国家国民らしい国民要件人間らしい人間要件違いがない。一言でそれは重視する要件だ。誉のからない国家や国民するしかない。

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