趙甲済
今日の明け方(韓国時間)、ビンラーディン射殺と関連して記者会見をした米大統領テロ担当補佐官のジョン・ブレナン氏は、アルカイダの魁首が迎えた最後に対してこう説明した。
「彼は女を盾として銃撃を避けようとしました。彼は豪華住宅で暮らしました。こういうことが彼の本性を示しています。」
盾とした女はビンラーディンの妻だった。本当に惨めな最後だ。頭を銃で撃たれたためでない。卑劣に死んだためだ。
1979年10月26日の夜、朴正煕大統領がそばにいた歌手沈守峰氏を盾として金載圭の銃弾を避けようと試みたなら、いくら彼の生涯の業績が偉大だとしても彼を英雄として追憶することはできない。朴大統領は胸を銃で撃たれても「観念したように、解脱したように」淡々と最期を迎えた。「私は大丈夫」が彼の最後の肉声だった。
朴正煕の毅然たる死とビンラーディンの汚らしい死は偶然でない。二人が生きてきた人生の自然な表現であろう。朴正煕は民族の恨を晴らすために生きて死に、ビンラーディンは罪のない人々を殺しながら生きた。