福島第一原発事故以来、東電や政府関係者から何度も聞かされた「想定外」という言葉。しかし「想定外の地震」「想定外の津波」は、すべて事前に指摘されていたことが後に判明している。ただその指摘を受けても見直しをせず、黙殺してきただけのことだった。東電は炉心溶融、電源喪失や実際に起きた水素爆発への対応を「考慮する必要がない」とし、「過酷事故」対策に盛り込まなかった
▼危険を軽く見ていたのか。否、自身たちが広めた「安全神話」に酔い、「原発は安全だ」と思考が麻痺したのではないか。事故なんて起きるわけがない。だからこそ放射性物質の防御服の準備もしていなかった。する必要がなかった。“無謬性の誤謬"に陥ったといっていい
▼大学の専門家はいつの間にか、東電からの研究費支援からか、すべてを「安全」とした。東電から広告費を受け取っていたマスコミは「安全でない」と評する人を外した。役人は、原子力関連の天下りポストがあるため何も言えない。東電は政党にも献金を行っていた。誰ひとり「原発は安全」でないという声とけん制するところがなくなってしまった
▼自然の前に人間の想定なんかは、たかが知れている。人間の傲慢さと非力さを嫌というほど見せつけられた今回の事故。とはいえ「想定外」だけでは済まされない。原発事故はまだ収束していない。今後表れる人的被害と経済的被害を最小化させるには、早急に最大のリスクから対応に着手し、住民の避難と真実の情報発信をしなければなるまい。まずは無謬性の誤謬を認めることだ。