住み慣れた土地で復興めざす

大震災から1ヵ月 宮城被災地レポ 手探りの在日韓国人被災者
日付: 2011年04月13日 00時00分

 東日本大震災発生から約1カ月となる7日、宮城県石巻市、東松島市、女川町の被災地に入った。街ではがれきの撤去作業が進んでいたが、不明者の捜索が手付かずの地域もあり、復旧まで道のりの長さが感じられた。今後の事業・生活設計は現地で暮らす在日韓国人も手探りの状態だが、彼らは住み慣れた土地で地域の人とともに復興を急ぐ決意を固めていた。(本紙取材班=3面に被災した在日韓国人の声)

東松島市のJR仙石線陸前小野駅前の惨状(7日)

 7日、仙台市から高速道路で石巻市に向かう在日韓国民団の支援隊に同行した。民団は避難所になっている同市の門脇中学校で炊き出しを行うことになっていた。
 高速道路を下りて市内に入ると、泥にまみれた瓦礫が道の両脇に積まれていた。重機類は地区ごとに順番で入っており、処理が進んでいない地区では、津波に流されて大破した車がそのままになっていた。
 避難所では炊き出しを受けるため、在日韓国人被災者も集まっていた。彼らは避難所生活者ではなかった。民団宮城の事務局員が、同中学校で炊き出しを行うことを伝えていたのだ。
 石巻市の南隣、東松島市内を流れる鳴瀬川の堤防に上がると、遅い午後の陽が差していた。津波は崩れた河口の堤防からさかのぼり、河口から見て右岸にあった約2キロ上流の小野集落の家屋を床上浸水させた。20年前に日本に嫁いできた許南伊さんの家も、1階部分がヘドロで埋まった。
 海側に向かうと、JR仙石線の陸前小野駅前に出た。線路は瓦礫に覆われ、小型船が乗り上げていた。海岸から約1・5キロ、川岸からでも500メートル以上はあろうかという場所だ。7日現在、瓦礫は手付かずの状態だった。沿岸の浸水地域では排水ポンプが設置できないところがあり、行方不明者の捜索は難航している。8日から自衛隊による不明者捜索と瓦礫撤去作業が開始された。
 高さ15メートルの津波に襲われた宮城県女川市の鷲神地区。道路は通れるものの、かつて住宅があったと思われる海沿いの低地には自衛隊の重機が入り、瓦礫の撤去が進められていた。
 あるビルの海側の壁にはクモの巣状にひびが入り、津波の衝撃の強さを物語っている。道路や壊れた建物の中には魚の死骸もある。細かな瓦礫の撤去はこれからだ。


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