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津波で被災した成光也さんの自宅(26日、女川町) |
3月11日に発生した東日本大震災から2週間が過ぎた25日と26日、被災同胞がいる宮城・仙台市、名取市、岩沼市、石巻市、女川町に取材に入った。民団宮城県本部によると、25日現在、県内の被災同胞252人のうち安否確認が取れた同胞は212人。死者は2人。各避難所で生活する同胞は10世帯、安否確認が全く取れない同胞が、石巻市を中心に10人程いるという。(鄭重国)
仙台市内は、一部を除いて電気と水道はほぼ復旧。しかし、ガスの復旧には1カ月以上かかる見込みだ。湯が沸かせないため、入浴はなかなかできない状態だという。
鉄道は、JR仙台駅が損壊してストップしたままだ。バスは定期便の本数が少なく、停留所には人の列が続く。地下鉄は一部区間を除いて運行している。
コンビニエンスストアやスーパーなどの多くはまだ営業を再開しておらず、食糧や生活必需品は十分に買えない。ガソリンは開店している給油所で何百メートルも並ばないと購入できない。住民は「買い物難民」になっている状態だ。仙台駅前で貸ビル業を営む安栄煥さんは、「市内が落ちつくには、3カ月くらいはかかるだろう」と話す。
11日の地震発生から2週間、民団宮城県本部の職員は休みなしで働いていた。李根〓団長は「職員たちの初動の動きには頭が下がる思い。しかし、この時期に動かなければ組織としての存在価値はない」と強調した。
地震発生から2週間が過ぎ、団員同胞の安否確認作業は進んできている。自宅が津波で流されたり、床上浸水したりして住むことができず、被災同胞(33世帯・20人)がいる12カ所の避難所に食糧や水を配って回る日々が続く。しかし、被災している同胞はもっといるという。
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避難所に物資を届ける李根茁・民団宮城団長(26日、女川第2小学校体育館) |
民団は先を見越して義援金を集め、被災同胞が生活再建に向けて動き出す時に、金銭的に支援できる態勢を整えておきたいとの考えだ。
余震が続く仙台。婦人会宮城本部の李京子会長は、「今回の地震で揺れのストレスにより、うつ状態になっている人が多くいる」とも話していた。
仙台市内以上に沿岸部の名取市、岩沼市、石巻市、女川町は、津波による被害が甚大。現在も街は全くと言っていいほど機能していない。
名取市と岩沼市にまたがる仙台空港も津波で甚大な被害を受けた。市内にはまだ車や瓦礫が散乱しており、6月末まで定期便発着の見通しは立っていない。
石巻市には戦前からの港湾荷役の仕事関係で在日韓国人が多く住んでいる。最近は、韓国から日本人に嫁いできて暮らしている韓国人も少なくない。
石巻市で自宅が流され、カキ養殖をしていた日本人の夫と義理の父親を亡くした洪景任さん(41)は、河南総合体育館で避難生活を続けている。現在妊娠9カ月。さらに3人の子供がいる。「頭が真っ白。出産しても体育館に戻る生活が続きそう。仮設住宅も半年以上待たないと入れない状態」と頭を抱える。
日本の親族からは「迷惑をかけるなら韓国に帰れ」と、韓国の親族からは「韓国に戻って来い」と言われている。それでも洪さんは、子どもたちのために日本で安定した生活を取り戻したいと願っている。
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石巻市から仙台総領事館に避難している李寿美さん一家(25日、仙台市青葉区) |
石巻市の自宅が浸水し、仙台総領事館で避難生活を送る在日3世の李寿美さん(42)は、韓国人の夫が病気で入院中のうえに、子供2人をかかえている。
李さんは、「夫がホヤの輸出関係の仕事をしていたが、今回の津波被害で生産者とも連絡が取れない。これからの収入の見込みがない」と不安を隠せないでいた。
漁業が盛んな女川町は津波で壊滅的状態。被災同胞3人が避難所生活を送っていた。自宅や店を津波で流されたたものの、運良く命は助かったという。
女川町総合体育館に避難している金宰子さん(66)は、「体育館は衛生状態が悪く、感染症が広がっている。岩手に住む息子のところに行こうかと思う」と話した。
津波の被害により、自宅や店をなくして、避難所生活を余儀なくされている被災同胞は、一様に地元で元の生活に戻りたいという気持ちでいっぱいだが、先の見通しが立たない状況だ。