自ら捕われの身になる国家と国民?

日付: 2011年03月30日 01時40分

柳根一
対北伝単(ビラ)の散布は放棄できない。地域住民らがもしかしたらという憂慮の意思を表することはあり得ると言っても、けれども対北ビラ散布の正当性を否定はしないでほしい。「鎌」を持ち出す必要は無いではないか? 金正日は大砲や魚雷を撃ちまくるのに、われわれはビラ散布もできないなら、金正日が恫喝したから、大変だと尻尾を巻いたら、われわれすでに戦わずに降伏する格好だ。
だが、戦線はすでに公然と引かれた。南・北間の以前にわが社会の内部に。戦線が一応そう引かれた以上は、恫喝に屈する訳にはいかないという立場からは、退こうにも退けない状況に追われた。退くというのは金正日に人質として捕われる状態を元に戻せなく既定事実化してあげることを意味するからだ。
金正日としては自分の手も使わず鼻をかむようなことだ。彼がやりたいことが南韓内で「察して」てきぱきと処理されるから。国家がやるべき仕事を国民が代りにやっているのに、その国民の努力をまた他の国民が重装備を動員して阻止に出る光景-これは完全に悲劇的な喜劇だ。国が国の体をなしていない。李明博大統領はこういう情けない状況の大統領の責務を果たす気持ちがどうかな?
原爆や長射砲やミサイルや魚雷や生化学武器を持った金正日が、「お前はもう終わりや!」と言ったら南韓の内部が独りでに全部平定されてしまう状況になるなら、これを果たしてどういう状態と言うべきなのか、口のあるすべての人が皆説明すべきだ。
捕われた国家、捕われた国民、自ら捕われの身になる国家、自ら捕われの身になる国民-果てし無い従属の道、隷属の道だ。「親金正日」勢力が好んで歌う「植民地従属化」云々は、もしかしたらこういう状況を望んで言った言葉だったのか?

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