東アジア自由民主国際連帯を!

日付: 2011年02月27日 23時38分

柳根一
理想はいつもわれわれを激動させる。理想は美しいものであるからだ。美しさに対する憧憬こそがわれわれの人間を昇華させ、生きる喜びを感じさせるその何かだ。われわれは今までそれを忘れたまま生きてきたのではないのか? 一生懸命お金を稼いで休暇を楽しく過ごすこと以上の理想(?)が、この頃の人々にあるのだろうか。理想って何のことだと言われなければ幸いかも知れない。
 
より美しい世界を追求することを理想というなら、そういう理想は今や過去の話であるだけだろうか? フランス革命やアメリカ独立当時の先進的な人間叡智が追求した自由・平等・博愛の夢を最後に「理想の時代」は終幕を告げたのだろうか? そうでないと言いたい。中東の自由民主革命を見ながら、人類は21世紀にもう一度そういう夢を延長させられると信じたい。
 
中世紀と絶対王政を越えて理性が支配する自由・民主・平等・法治・人権・福祉の世の中を創ろうとする良心的人類の闘争は、暫らくあらゆる種類の独裁、全体主義、新しい神政政治、閉鎖主義、蒙昧主義によって、「西欧帝国主義の退廃的な制度」、したがって第3世界とは対蹠点にあるものであるかのように烙印された。だが、それは途方もない陰謀で迷信だった。
 
大韓民国は憲法制定当時にすでに自由民主主義体制を宣布しわずか半世紀で実を結んだ。20世紀の末になっては、ソ連や東欧圏の極左独裁と極左全体主義下でも「われわれも、また自由と民主を熱望する人類普遍の属性から例外でない」と叫ぶ声がその迷信を破った。今日この時点では、中東でも、自由と民主と人権が西欧のみの専有物でないという絶叫が、21世紀最初の市民革命として広まっている。では、東アジアの中国とミャンマーと北韓は例外なのか?
 
例外だと頑として言張りながら、ムバラクのように、カダフィのように抵抗するだろう。だが、文明史の波は例外を許さない。天下の大勢というものがあるからだ。それがなかったら、18世紀の西ヨーロッパの自由民主革命と米国の独立、19世紀の中南米の独立、20世紀半ばのアジアとアフリカの植民地の独立、20世紀末のソ連圏の崩壊が無かったはずだ。
 
しかし、その大勢は人間の意志的な努力が加わってこそ促進され得る。それでは、8世紀ヨーロッパで始まって21世紀中東で蘇えった自由民主革命の理想を、東アジアの「独裁ベルト」に意志的に伝播することはできないだろうか? それを21世紀の東アジアの人々の普遍的な理想として浮上させることはできないだろうか?
 
普遍的な理想は、国際主義的連帯を通じて伝播する。それが近代史と近代思想史の経験法則でありかつ教訓だった。この点で、中国の民主化、北韓の変革、ミャンマーの民主化...は、別々に孤立的に追求すべきものでない。西欧の自由民主革命も、全体ヨーロッパが国境を超越して啓蒙思想に合流したため大きな津波として増幅されられた。
 
こういう要請から提言したい。北韓民主化運動をもっと広域的でグローバルな次元へ結びつけるため、われわれを含む東アジア人も自由民主の国際主義連帯を構築したらどうか? 例えば、韓国の北韓人権運動や脱北同胞救援運動、中国の民主化運動、北へ拉致された日本人救出活動を含む日本の人権運動、ミャンマーのアウンサン・スジを支持する民主化運動、失踪者救出活動を含むフィリピンの人権運動、東ティモールの人権運動、信仰への迫害に抗議するキリスト教の人権運動、アジア地域の女性運動...などをネットワーキングはできないだろうか? 左派によって乗っ取られなかった純粋な人権運動を選んで。
 
自由と民主と人権と市場主義は、防御的、守勢的な「保守」から抜け出して、攻勢的、現状打破的、挑戦的、先制的変革運動へと進まねばならない。そしてこれは東アジアの主要独裁権力らを共同のターゲットにする「東アジア自由民主行動」という国際主義運動に進まねばならない。
 
「東アジア自由民主行動」-これを今日の若者たちが、かつてヘミングウェイを激動させた情熱のようなものとして熱く抱けないのか? 権力の主流に立向かうのは容易なことでない。大部分は失敗もし得る。だが、まさにそうであるため、それは勇敢なロマンチックな理想主義者たちのみが敢行できる「インディ・ジョーンズ」のアドベンチャーだ。
 
「東アジア自由民主行動」は、中国、金正日、ミャンマーに向かって、人間の基本権保障、特権層の不正腐敗剔抉、門閥主義の剔抉、平壌ローヤル ファミリーの世襲王政糾弾、燿徳強制収容所解体、拷問と公開処刑の撤廃、脱北者強制移送中断、豆満江を渡る性奴隷の救出、恐怖-テロ-暴力からの解放、少数民族迫害中断、農民工問題、家族によって殺害されるアジア女性の人権、そして一部地域の子供奴隷労働撤廃を宣言しなければならない。
 
理想はいつもあった。人々の懶怠がそれを分からなくするだけだ。「東アジア自由民主行動」がその理想の熱い熱気を熟成させられないだろうか? 自由・民主・人権は、「保守」でなく変革だ。燿徳収容所をはじめ、東アジアの収容所群島を変革の波で包囲しよう。
 
柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2012.02.26 11:43

閉じる