趙甲済
やられっぱなしだった民族が、団結して国家を建設し、「戦いながら働き、働きながら戦って」繁栄と自由を享受するようになった話は、世界史の最も感動的な逆転のドラマだ。ベネチアと新羅、1948年以後の韓国とイスラエルがそのような国だ。そのような国やそういう国を作った人々の堂々として熾烈に生きる姿は尊敬に値するだけでなく美しい。韓国人がイスラエルに行って特に感銘を受けるのも、そういう同病相憐の感受性を共有したからであろう。韓国は、日帝の植民統治、分断、戦争を克服して民主的な経済大国を建設した。イスラエルは、2000年間の流浪生活とナチによる600万人のユダヤ人虐殺を克服して立った国だ。建国後4回の戦争を、外国の助けなしで勝利した自主国防の国だ。民族集団が「生きるか、死ぬか」の生存問題をおいて死闘を繰広げれば途方もないエネルギーが生じる。生き残るための苦闘は、想像を絶する成就をなす場合が多い。
1987年以後の韓国は、本格的な大衆民主主義の時代を開いた。私益追求のポピュリズムを本性とする政治論理が、犠牲精神上に立たねばならない安保を遠ざけ始めた。「民主化」とともに押寄せて来た左傾化の波は、彼我の識別機能を麻痺させ、「ウェルビーイング文化」は決戦意志を弱化させた。国家指導部は統一意志を失い、国民は正義感と愛国心をかなぐり捨てた。
相似形の韓国とイスラエルは、1990年頃から変わり始めた。1995年に2回、イスラエルを取材しながら感じた感想があった。イスラエルは全国民が英雄である緊張した国で、韓国は自主国防の意志が失踪した乱れた国になりつつあるという印象だった。太った豚と痩せたオオカミのような差と言おうか。李承晩と朴正煕の指導の下の韓国は「痩せたオオカミ」のように覇気があったのに、2010~2011年の韓国は国防も外注する国になってしまった。
韓国とイスラエルの最も大きな差は、「国防は米軍に任せて楽しめば良い」という事大主義的依存性と、「われわれの運命はわれわれが決める」という自主国防意志の差であろう。この差は、国民水準の反映というよりは、国家指導部の品格と勇気の差であろう。
1995年11月、筆者はラビン総理を暗殺される前日にインタビューした。その1年後、米ハーバード大学で中堅言論人研修課程(ニーマン財団)に参加した時、ユダヤ系の米国人記者たちに、「私がラビン首相を最後にインタビューした人だ」と言ったら、筆者を見る眼差しが変わるのを感じた。クリントン米大統領の回顧録を読むと、ラビンに対する尊敬の表現が多い。彼が大統領として会った世界 の指導者たちの中で、ラビンを最も高く評価しているのではないかという気がするほどだった。1993年9月、ホワイトハウスでクリントン大統領はラビンとパレスチナ指導者のアラファトを招請し、平和協商の原則に合意する行事を行った(*左写真)。直後、クリントンはラビンに別途に会って、「なぜパレスチナとの平和協商を決心したか」と尋ねた。ラビンは、こう言った。 「イスラエルは、占領地に住む不満に満ちた人々を抱えては民主主義が維持できないという事実が分かりました。占領地を放棄してこそ真の平和と親善関係が構築できるという事実を悟りました。」
クリントンはこう書いた。
「私は、彼に会う前から尊敬してきたが、この日彼の話を聞いて私は偉大な指導力と精神力を見た。ラビンのような人にかつて会ったことがない。」
クリントンは、ラビン総理が暗殺されたという報告に接するや、イスラエル大使館に行って弔問した後すぐエルサレムに飛んで行って葬式に参加した。ブッシュ、カーター元大統領と30人以上の上・下院議員も同行した。クリントンは追悼演説を『シャローム、シャボ』というヒブリュ言葉で終えた。『友よ、さよなら』という意味で、この言葉はユダヤ系の参謀たちが薦めた言葉だった。クリントンは『友よ、さよなら』という表現がイスラエルの人々を感動させたとし、参謀たちに感謝すると書いた。
筆者はラビン総理から、李承晩や朴正煕世代の印象を受けた。歴史の荷を背負って黙黙と歩いたわれわれの父の像だった。「民主化」以後の韓国では消えた指導層が、イスラエルでは依然生きている。「過剰民主主義」が安保を失踪させ、韓国人を早老症に罹るようにした。天安艦爆沈と坪島挑発を体験した後、韓国人たちの間で反省が起きた。筆者は集会に行けば「未だ戦争中のわれわれは、南太平洋式でなくイスラエル式に生きねばならないではないのか」と言う。過去とは変わって、肯く雰囲気が歴然だ。韓国とイスラエルの人々は、永久的な平和を確保するまでは、「片手には銃を持って他の手には槌を持ち、戦いながら働き、働きながら戦わねばならない」宿命を持って生まれた。これは不運でなく幸運だ。
「危険に生きろ! それが正しい生き方だ。」(ゲーテ) 最近の国際世論調査によれば、自主国防をするイスラエル人の幸福度が、「外注国防」をする韓国人たちより遥かに高かった。安保への不安や不信も、米国に国防を任せ幸福を求めようとする韓国がもっと高かった。安保不安のため外国へ行って住みたいという人の比率は、韓国がイスラエルより10倍も多かった。挑戦を避けようとしたら不幸になり、挑戦を受入れれば幸せになるという証拠だ。「韓国の奴隷根性とイスラエルの主人意識の差」と表現したら気分を悪くする人々が多いだろうが、筆者は、自主国防のできない国は真の独立国家でないという朴正煕(*右写真)の問題意識に同意する立場だ。
www.chogabje.com 2011-01-16 13:25