金成昱
ドイツの統一過程で天文学的な費用が掛かったから、南北統一が災殃になるという主張は科学的でない。
ドイツの「統一費用」が大きかった最大の理由は、東ドイツ政権崩壊後「急速な」西ドイツへの編入にあった。ドイツ政府は、東・西ドイツ間の「移動の自由」を許容した後、東ドイツ住民が大挙西ドイツ地域にやって来ると憂慮した。東ドイツ住民を故郷に留まるようにするためには、彼らの暮らしを短期間で引上げねばならなかったし、これは「貨幣統合」など無理な政策に繋がった。
南・北の統一過程で、南・北間の「移動の自由」が制限される、一種の管理体制・過渡体制が必要な理由がここにある。管理体制や過渡体制は、北韓政権を崩壊させた後大韓民国が北韓地域を管理する期間であり、短くて3年、長ければ30年以上の時間が掛かり得る。北韓解放後、自由統一へ進む飛び石のような概念だ。
<貨幣統合、価格競争力を喪失した東ドイツ商品...大量倒産>
当初は、西ドイツでも段階的な貨幣統合主張が優勢だった。ところが、ベルリンの壁が崩れて東ドイツ人の西ドイツへの移住ラッシュ(rush)が始まり、1990年の4‐5月に「東・西ドイツの経済・社会・通貨統合条約」が締結された。これは東・西ドイツの貨幣が、賃金と預金は1:1、その他債権と債務は2:1の割合で交換されたのだ。
東ドイツに西ドイツのマルクが電撃導入されながら、移住の波は急減したが、東ドイツの経済は緩衝装置なしで直ちに資本主義の市場経済へ転換された。
特に、東・西ドイツ貨幣の実質価値が4.3:1であったにも拘わらず、1:1で統合され、東ドイツ産輸出品の価格は急に330%まで値上がりした。輸出がGDPの40%を占めていた経済は致命傷を受けた。東ドイツマルクの過度な切り上げのため、東ドイツで生産された商品は価格競争力を失ってしまった。結局、生産性の低い東ドイツの企業が大量倒産するに至る。
<急速な私有化で東ドイツ企業らが破産>
私有化による後遺症も多かった。これも、東ドイツが西ドイツの法体系に「即刻」吸収されながら起きた問題だ。
信託庁(Treuhandanstalt)という機関は、独自的回生が不可能な東ドイツ企業を迅速に売却して私有化する作業に取組んだ。1990年から1994年の間1万5,102個の企業、2万5,030個の商店・食堂・ホテル、4万6,552件の不動産などを処理した。
ところが、中間段階のない信託庁の私有化も、東ドイツ企業の大量倒産を招いた。例えば、東ドイツ最大の製鉄工場(EHO社)は、私有化後1万2,000人の雇用人員中9,300人が失業者になった。このため信託庁は「働き口撲滅庁(job killer)」という汚名を持つようになった。
深刻なことは、私有化以後発生した2,044億マルクに達する膨大な債務だった。企業整理のために途方もない費用を注ぎ込み、これは政府保証公債で充当され結局は税金で埋められた。
東ドイツ地域は莫大な「統一費用」の力で急速に私有化されたが、大部分の国営企業が破産してしまった。他の東欧圏の企業が体制転換後も生き残ったのと対比される。
<高い失業率、結局は政府負担で>
東ドイツ地域の失業率も高くなった。ドイツ政府は、東ドイツ地域の大量失業を防ぐために短縮操業、早期退職制度、転職訓練制度、一定期間被雇用者の賃金の75%線まで補助金を支給する雇用創出措置(ABM)など積極的な雇用政策を実施したが限界があった。
東ドイツ投資庁は、統一後2001年まで100余りの国際企業を誘致し、1万5,000個の働き口を創出したが、2002年以後投資家らは東ドイツを抜いてチェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキアへ行ってしまった。「東ヨーロッパの改革国家らは、東ドイツの地が提供できないものを持っており、それは遥かに低い賃金」というのが投資家らの愚痴だった。
他にも産業基盤施設の脆弱、所有権紛争の未解決、複雑な行政手続きなどのため西側企業が東ドイツ地域への進出を忌避しながら「雇用維持費用」と「失業給与」などがそのままドイツ政府の負担となった。現在、東ドイツ地域の失業率は11.5%、西ドイツ地域は6.6%水準だ。
<西ドイツ労組の応援で同一労働、同一賃金を主張>
東ドイツ地域の企業らの競争力が強化されなかった理由には左派イデオロギーの責任もあった。1989年11月のベルリンの壁崩壊後、東ドイツ労働者の生産性は西ドイツの3分の1水準に過ぎなかったのに、西ドイツ労組の支援を得て5年内に西ドイツ労働者と同一労働や同一賃金の達成を要求した。このような闘争は、東ドイツ企業が競争力を失う決定的契機になってしまった。
所有権紛争も混乱を加重させた。西ドイツに居住していた東ドイツ地域土地の原所有主110万人が、何と237万件に達する財産権審査請求書を提出し所有権の返還を要求したのだ。東ドイツ住民たちの住宅や土地に対する所有権紛争が激化して、東ドイツの庶民政党である「同盟90」の地区党委員長のジャン・タルクが首を括って自殺する事件まで起きた。
<失業など社会問題を福祉で解決を試み>
ドイツの統一過程で急速な貨幣統合、私有化とこれによる失業などは、福祉制度をもって解決された。世界最高レベルの西ドイツの社会福祉システムが、東ドイツ地域に同様に適用されたのだ。東ドイツ住民は、失業率は高かったが保険料は納めなかったため、社会福祉の全ドイツへの適用は財政赤字を齎し、これはまた「統一費用」を増やした。
いわゆる「統一費用」は、ドイツ統一後1兆5,000億ユーロが掛かり、これは毎年800億‐900億ユーロ、ドイツGDPの約3‐4%に達する巨額だった。だが、「統一費用」の80%は、東ドイツ住民への年金や失業手当のような社会福祉費用だった。社会主義に近かった西ドイツの福祉制度を東ドイツに適用した結果が「統一費用」の正体であるわけだ。
<連帯協定(Solidarpakt)を通じての財源調達>
「統一費用」はどのように充当したのか? ドイツ政府は、当初は付加価値税や社会保険料の引き上げで解決したが、1991年「統一税」という特別税を導入した。1年間の限時制度として登場して1991年7月から1992年6月間、所得税と法人税の7.5%が賦課されたが、1995年に復活して現在まで続いている。1998年以降は、所得税と法人税の5.5%が賦課されている。
別の財源調達は、いわゆる「連帯協定(Solidarpakt)」だ。1994年以降、連邦と西ドイツ地域の11個州政府は、国公債の発行、予算節減などを通じて東ドイツの5個州を支援する連帯協定を結ぶ。ところが、国公債の発行は、租税と社会保険料の引き上げをもたらし、これはまた物価上昇と賃金引き上げの要因になって、賃金闘争や失業者の増加を生む悪循環を招いてしまう。
<高費用のドイツ統一と低費用の韓国統一>
いわゆる「統一費用」は、東ドイツ政権崩壊後、一種の過渡体制・管理体制なしで東ドイツを西ドイツに急速に編入したのが一番大きな原因で、西ドイツの社会保障制度を東ドイツに一括適用したのが次の原因だった。韓半島の統一は、ドイツの先例と類似する点ほど違う点も多い。
まず、北韓政権の解体過程が東ドイツ政権の解体と異なるだろう。東ドイツ政権は、ベルリンの壁が崩れる20世紀最大のイベントで瓦解されてしまった。民衆の力で崩れたベルリンの壁(*左写真)は、東・西ドイツ間に「移動の自由」が許容されたことを意味し、ドイツ政府もこれを防げなかった。結局、東ドイツは一朝にして西ドイツのシステムに編入されるしかない状況に追込まれたわけだ。望もうが望まなかっただろうがドイツ政府は西ドイツの私有財産制、貨幣制度、福祉制度などを東ドイツに適用せざるを得なかったし、これは「統一費用」を増やした。ドイツは本質的に「高費用の統一」にならざるを得なかったのだ。
反面、北韓政権の瓦解は、休戦線の崩壊のような構造で進行しない可能性が高い。むしろ、金正日死後の急変事態の時、大韓民国の介入や金正日政権がより弾力性のある政権に交替された後、この政権が大韓民国に編入される形でなされるかも知れない。つまり、「民衆の力」で政権が倒れるのではなく、「北韓政権自らの崩壊後韓国の介入」、あるいは「北韓政権次元の韓国への編入」など、韓国政府の絶対的影響力の下で崩れるしかないのだ。したがって、ドイツのように韓国のシステムを一朝一夕に適用させない、一種の「呼吸調節」ができるわけだ。
<北韓政権崩壊後、管理体制や過渡体制を導入しなければ>
大韓民国がやらねばならない第一の課題は、北韓政権を早期に崩壊させることだ。「急変事態による北韓政権自体の崩壊後、韓国の介入」であれ、「北韓政権次元の韓国への編入」であれ、一応北韓政権を崩壊させた後、韓国政府が一定期間の南・北間「移動の自由」が制限された管理体制や過渡体制を導入しなければならない。
管理体制や過渡体制は、大韓民国が北韓地域を管理し再建する期間であり、短くて3年、長ければ30年以上の時間が掛かり得る。つまり、北韓の解放は急激に、自由統一は落ち着いてやるということだ。重要なのは、北韓の暴圧体制を一日も早く倒して自由・人権・所有が保障される普遍的秩序を北韓に作ることだ。北韓に普遍的秩序が樹立されれば、自由統一は時間の問題、選択の問題になる。
北韓政権が崩壊した後、大韓民国が北韓地域を管理し再建するシステムは、いわゆる「中国式の改革・開放」でない。中国式の改革開放は北韓政権の存続が前提になるが、管理体制や過渡体制は北韓政権の崩壊が前提になる。
当然の話だが、管理体制や過渡体制の内で韓国の社会保障制度を北韓に一括適用する必要もない。当分は、北韓は大韓民国の管理下で北韓なりの自生的活路を模索することになる。
<統一が分断より良い理由>
「統一費用」などあらゆる問題があるが、歴史はドイツの統一が分断より良かったことを雄弁で語る。統一後ドイツはヨーロッパで最も強力な経済大国に浮上した。
エコノミストは2010年3月、「ヨーロッパのエンジン」という題名でこういう記事を掲載した。
「一時、ドイツはヨーロッパの病人と呼ばれた。しかし、今はドイツの奇跡と呼ばれる」。赤字に苦しむ南ヨーロッパの国々と違って、財政赤字の規模3.3%。ドイツがヨーロッパを護る大きな存在になったことを示す。実際、EUのギリシャへの救済金融(1100億ユーロ)の時、最も多い28%を負担した国家がドイツだった。「ライン川の奇跡」は、今「エルベ川の奇跡」に変わりつつある。
ドイツは、平和と人権の主導国家としても背のびした。国連の正規予算、各種平和維持活動事業に対する自発的な財政支援は、米、日に続く3位(8.7%)だ。
統一の最大の正当性は、東ドイツ市民の自由にある。共産党1党独裁から解放された東ドイツ市民は、今の自由と人権、政治・思想・宗教・哲学の自由を満喫するのはもちろん、経済、社会、文化、教育、芸術などすべての生の領域で世界最高水準の文明を満喫している。
ドイツの統一を導き出したコール総理は、備忘録でこう書いた。
「1990年に約1,150億マルクの統一費用を使えば1994年まで統一を完成できると期待した。ところが、1996年まで7,200億マルクを使った。しかし、このように多くの費用が必要なことを事前に分かったとしても、その当時に統一は推進されただろう。統一の遅延による費用がもっと大きかったはずだからだ。」
大韓民国はドイツより遙かに多くの「分断費用」を払っている。天安艦爆沈、延坪島砲撃で死亡した軍人と市民は計れない費用だ。われわれが「統一費用」云々して統一を回避できない理由がここにある。
米国系投資銀行のゴールドマンサックス(Goldman Sachs)は、2008年9月、「統一韓国(a United Korea)対北韓リスクに対する再評価」という報告書の中でこう予測した。
「韓国が統一されれば、30‐40年内に国内総生産(GDP)規模がフランスとドイツ、さらに日本を追い越すだろう。」
大韓民国の前には今、費用を恐れる分断と没落か、費用という迷信を克服した統一と成就かという二つの選択がある。