金成昱
思想が熟せば行動が実る。その行動は既存秩序の維持・強化にもなり得るが、革命や戦争にもなり得る。
実際、革命や戦争の前には新しい秩序を夢見る法思想があった。「初めに法哲学があって、後に革命があった」と言ったラドブルフ(ドイツの法哲学者)の名言は歴史的にも事実だった。
ロック、ルソー、モンテスキューなどで代表される「自由主義的自然法論」は、アメリカの建国革命とフランス革命を産んだ。人間を束縛し自由を抑圧した封建政治制度打破の道具として自然法という永遠不滅の最高の価値を引き出した。自由、人権、所有のような普遍的価値が封建を破って生まれたわけだ。王や貴族でない「すべての人間」の生まれ付きの権利があることが確認されたのだ。
「われわれは、万人が平等に創造され、彼らは造物主から一定の譲れない権利が与えられ、生命・自由・幸福追求の権利らがこれに属するという真理を自明のものと確信する。(1776年米国独立宣言)」
「国民議会を構成するフランス人民の代表者たちは、人権に対する無知、忘却、蔑視がまさに共同の不幸と政府の腐敗の原因であることを考慮し、一つの厳粛な宣言を通じて、人間の自然的で譲れない神聖な権利を闡明することを決議した。(・・・)第1条. 人間は自由で平等な権利を持って生まれ生存する。(・・・)第17条. 所有権は神聖不可侵な権利だ。(1789年フランス大革命の人権宣言)」
米国とフランスだけでない。大韓民国も革命を通じて生まれた。そしてその思想的源泉は憲法に定義されている。
大韓民国憲法の第1条は「大韓民国は民主共和国」であることを闡明しており、第3条は「大韓民国の領土は韓半島とその附属島嶼とする」、第4条は「大韓民国は統一を指向し、自由民主的基本秩序に立った平和的統一政策を樹立してこれを推進する」と定義する。
大韓民国憲法の骨組みを成している精髄は、「韓半島に二つの国は無い」ということだ。「大韓民国は北韓地域への実質的な統治権を確立し、全韓半島が自由民主主義を基本理念とする大韓民国の支配を受けねばならない」、これが憲法制定権者たちの根本決断だったということだ。
大韓民国は、誕生そのものが自由民主主義とこれによる統一という哲学的法理の下で創られた。これは「朝鮮王朝500年」と「日帝35年間」の封建を破る革命的道具として使われた。
1948年の建国で始まった大韓民国の「自由民主主義革命」は、去る60年間南韓においての驚くべき豊饒を生み出した。米国建国革命やフランス革命と同様に、自由、人権、所有のような普遍的価値を「革命的に」成就した結果であった。
北韓が未だ独裁と圧制の下に置かれている理由は、韓国が経験した「自由民主主義革命」がなかったためだ。革命を経験せずまだ不自由・非人権・非所有の封建に縛られているのだ。
実際、北韓の2009年4月の改正憲法8条は、「国家は搾取と圧迫から解放されて、国家と社会主義の主人となった労働者、農民、軍人、勤労インテリをはじめとする勤労人民の利益を擁護し、人権を尊重して保護する」と定義する。全ての人でなく「勤労人民」だけが天賦の人権を持つというわけだ。1776年の米国、1789年のフランス人民が享受した人権も享受できない最悪の封建だ。
北韓はすべての国家が経験した近代化革命を経験していない。このため自由・人権・所有なしで住民は奴隷として生きる。
結論は明瞭だ。北韓に今必要なことは支援でも援助でもなく、中国式の改革・開放でもない。封建からの解放、つまり革命だ。
この地の純潔な青年が進むべき道も、北韓に米や物資を与えようとする弱い妄想家の道でない。1776年のアメリカのように、1789年のフランスのように、北韓に自由・人権・所有をもたらす荒い革命家の道だ。李承晩博士が始めた大韓民国の「自由民主主義革命」の完成だ。