北韓労働党秘書の黄長燁と南韓の反共検事呉制道

日付: 2010年10月26日 17時36分

自由アジア放送(全星勳、統一研究院先任研究委員)
南韓へ亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)前労働党秘書が去る1010日亡くなりました。黄長燁先生は享年87才で、自宅で安らかに永眠されました。黄先生は1997年北韓を離れて韓国に亡命しましたが、最高位級要人の北韓脱出が世界的なニュースになりました。当時、北韓最高の知性人の一人として金日成-金正日体制では北韓に未来がないという判断で、北韓の虚像を知らせ、南韓主導の平和統一を成遂げるため愛する家族の犠牲も冒して南韓に来られたのです。
 
黄長燁先生は活発な講演と著述活動を通じて、北韓体制の虚構性を南韓同胞らに知らせるのに献身されました。北韓体制の核心にあった方のお話だったため、南韓国民は黄先生の話に耳を傾け、北韓の実状を理解するのに大いに助かりました。黄長燁先生は、南北間の体制対決は南韓の勝利で終わったし、統一は南韓が主導し国際社会の支援を受けて平和的に成遂げなければならないと強調しました。亡命以後、北韓政権の絶え間ない暗殺威嚇にさらされた黄先生こそ、死ぬ瞬間まで民族の将来を心配し民族の祭壇に自らを捧げた方です。
 
黄長燁先生が南韓に来られて義兄弟を結んだ方がいます。あの反共検事として有名な伝説的な存在だった呉制道
(オ・ジェド)弁護士(右写真)です。南韓の国家保安法の草案を作り、スパイ逮捕検事として有名だった呉制道弁護士は、彼の活躍像を描いた放送が出るほど名声が高く、常にスパイの暗殺威嚇にさらされた方です。南韓に来た黄長燁先生が呉制道弁護士に会って虚心坦壊に話し合い、意気投合して義兄弟を結んだ後、黄先生が呉弁護士様をお兄さんで呼ぶことにしたのです。
 
社会主義体制の先鋒で主体思想を確立した理念家として金日成を担いだ黄長燁先生が、共産主義打倒を叫び、スパイ逮捕で有名だった呉制道弁護士と義兄弟を結んだ事実は、分断の歴史が生んだアイロニーと言わざるを得ません。この二方のエピソードは、共産主義思想家が自由民主主義思想家に説得されたという意味である同時に、南・北韓の同胞が両極端に分かれている理念と思想の差を乗越えて一つになれるという希望の象徴でもあります。
 
私は呉制道弁護士をそばで仕えた人として、その方の人間味や慈愛深さをよく分かっています。北韓政権が最も恐れた南韓の思想家である呉制道弁護士と、北韓を脱出した黄長燁先生が義兄弟を結んで一日も早く平和統一をし、塗炭に落ちた北韓同胞を救わねばならないと意気投合されたのです。
 
呉制道弁護士様は
2001年に先に亡くなりました。南韓建国以来最も立派な検事に選ばれて1等級勲章である国民勲章槿章を受けられ、大田国立墓地に安置されました。黄長燁先生も呉弁護士の道に継ぐことになりました。南韓政府は黄先生の民族愛と統一に対する情熱を賛えて国民勲章槿章を授け(*左写真)、去る1014日太極旗で覆われた黄先生を大田の国立墓地に安置しました。生前に義兄弟を結んだお二人が再び会って最初になさることは恐らくわが民族への心配と平和統一に対する祈願でしょう。
 
www.rfa.org 20101015

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