金正日ファミリーの料理人として北韓に13年以上滞在した藤本健二氏が10日、東京都内で開かれた人権団体主催のシンポジウムで体験談を語った。金正日の後継者に確定した金正恩が7歳から18歳になるまで、藤本氏は主に遊び相手として身近に接してきたという。シンポジウムには韓国に本部を置く「開かれた北韓通信」の河泰慶代表と、大同江沿いの北倉収容所で28年過ごしたキム・ヘスクさんも参加した。(金総宰)
藤本氏は82年に初訪北し、87年に再度訪北。89年には元踊り子の北韓女性と結婚し、1男1女をもうけた。94年7月に中央党の秘書室員になるが、01年に北を脱出した。家族は一時炭鉱送りにされたが、現在は年1、2度、平壌の家族から電話がかかってくるという。
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金正日の妻、高英姫について説明する藤本氏(左端) |
藤本氏は「正恩大将は一般人民の生活のことに関心を持っている」と、日記に記した2人の会話内容を紹介しながら話した。
2000年8月、スイス留学した正恩は「いろいろな外国へ行くけれども商店は食料が山積みになっている。日本に行っても山積みになっている。さて、ウリナラ(私たちの国)はどうなのかな」と藤本氏に尋ねたという。01年には、別荘に当たる元山招待所で「われわれはこうして毎日、バスケットをしたり馬に乗ったりジェットスキーしたりプールで泳いで楽しんでいるけれども、一般人民はどうなのかな」と漏らしたという。このようなエピソードから、藤本氏は正恩が人民の生活に関心を持っていると感じたという。
藤本氏は、正恩が9歳くらいだった1992年、母親の高英姫らとともにディズニーランドに来ていたことも証言。元在日朝鮮人の高英姫は、藤本氏に日本語で話したことは一度もなく、帰国者であることも隠していたという。
北の今後について、「世襲体制の後継者なのだから、5、6年間は今と同じ(先軍)政策を取るだろう。それから先は10のうち1つは自分(正恩)の意見が通るようになり、改革の方へ進むだろうと思う」と予測した。
続いて講演を行った河泰慶代表は、正恩への後継は07年の家族・側近会議で内定し、後継伝授のための実務チームが発足していたと分析。08年夏に金正日の健康が悪化したことにより、体制固めが急速に進められたとみている。
09年下半期には正恩専用の特別官邸が平壌に建設され、11月には貨幣改革を断行。同月末には大青島海戦敗北の報復を金正日とともに指示したと紹介した。
河代表によると、正恩は今年2月に党の財政権を掌握。3月に海外秘密資金の移管がなされたという。9月上旬と予告されていた党代表者会が延期されたのは、金正日の心不全症による呼吸困難が原因だった可能性を示唆した。また正恩は現在、軍の最高指揮権と国家財政を除く内外政策の決定権限を握っているとの見方を示した。若いがカリスマ性があり、文化的側面では中国嫌いと分析した。
05年に脱北したキム・ヘスクさんは13歳の時、一家ごと平安南道北倉の管理所に収容され、25年間炭鉱労働に従事した。08年に再収容された時、内部の状況は一変して悪化しており「人肉を食べる人もいた」ほどだったという。
藤本氏は収容所の現状に関して「正恩大将がどれほど現状を把握しているのか問題がある。父親の将軍自身、これだけ残酷なことが毎日繰り返されていることを把握しているのか問題があると思う。核工場すらそばに行かない」と答えた。
世襲をめぐる朝鮮総連内部の意見について「北朝鮮側が決定したことは鶴の一声です。正恩大将を崇拝せざるを得ない立場だと思う」と述べた。
次男の正哲(高英姫との第一子)については「すぐ上の兄は追放する必要はなく、むしろ兄が正恩大将をサポートするはず」と述べた。一方、「(党代表者会は)あれだけの晴れ舞台なのに公開された集合写真にはヨジョン姫(正恩の妹)はいても正哲はどこにも映っていない」と、排斥されている可能性を示唆し、その所在を心配していた。