『さすらいの舞姫]』西木正明・著=萩原遼書評

朝鮮が生み、日本が育て、そして北に消えた天才舞姫崔承喜の生涯
日付: 2010年09月16日 00時00分

 「チェ・スンヒ? 誰? その人? 知らなーい」。ソウルで若者に聞けば多分こんな答えが返ってくるだろう、と著者は書く。日韓のそんな世代を相手に読みやすい小説の形で崔承喜の生涯をまとめたその努力をたたえたい。

 著者自身も昭和45年に切腹自殺した三島由紀夫の取材のさい、川端康成から聞くまで崔承喜の名前すら知らなかったという。ゼロからの出発で、400字詰め原稿用紙2100枚、一冊900ページの大著で崔承喜について書きあげたその勉強ぶりは賞賛に値する。

 戦前ソウルでの公演で石井漠に弟子入りした16歳の崔承喜。天真爛漫な少女の天分を見抜いて育てた石井漠。日本と朝鮮の友情を象徴する出会いであった。

 崔承喜はめきめき踊りの天分を発揮し、師をしのぐほど。その人気のほどは戦時下の昭和19年帝国劇場を20日間満員にしたことに示される。資生堂などコマーシャルにも引っ張りだこ。川端康成、芥川龍之介などの一流の文化人が応援団にまわる。
 「ぼくは日本人が時々わからなくなることがある。朝鮮にいる倭奴(ウエノム=日本人の蔑称)の相当数は、理由もなくわれわれ朝鮮人を見下したりするのに、内地の大新聞は君にはただひたすら賞賛あるのみじゃないか」。夫で左翼の安漠は崔承喜にいう。「同じ日本人なのにこうも違うものなのかね」。

 朝鮮が生み、日本が育てた天才舞踊家。よき思い出として永遠に記録されるだろう。
 だがもう一つのかげの部分がいまも隠されている。不世出の天才を惜しげもなく殺した金日成政権の北朝鮮という事実である。
 日本の敗戦による朝鮮解放後、左翼の夫に随いて北に行った崔承喜は、初めは金日成の厚遇を受けるが、のち粛清され、強制収容所で絶命する。著者もよく迫っているが、なにしろ北の閉鎖社会。しかも金日成の唯一独裁下での粛清は、語ることもできない禁忌事項である。死後40年ほどのちの2003年に名誉回復され、愛国烈士陵に埋葬されたことのみ発表された。いつの日か北でのすべてが明らかにされる日も来よう。そのとき崔承喜の生涯が完結するだろう。

 著者の勉強ぶりにもかかわらず解放後については初歩的な誤りも散見する。たとえば金抖奉、正しくは金〓奉、李承華は李承〓が正しい。朝鮮語読みのルビにも間違いが多い。李一卿(リ・イルキョン)がリ・イルヒャン。許哥而(ホガイ)がホカジ。いずれも著名な人物だけに惜しい。

光文社刊 / 定価2300円(税別)

 (はぎわら りょう=現代朝鮮史家・大宅賞受賞作家)


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