『めぐりくる春』梁石日・著=下川耿史書評

従軍慰安婦として連行された女性たちを通して語る日本人論
日付: 2010年09月16日 00時00分

 太平洋戦争については今でも戦争の大義から戦術論、その他諸々、いろんな議論が交わされている。しかし私には、あの戦争は現代の役人が天下り先を確保するために作っている箱物のように、日本という国家そのものが役所や役人(軍人を含む)の作る箱物でしかなかったことの表れであり、そのお粗末さが露呈したイベントだったと考えている。

 この小説に、ある朝鮮人慰安婦が年上の慰安婦に「朝鮮がいつ戦争を始めたのか分からない、朝鮮は日本と戦争してるんですか。どこの国と戦争してるんですか」と尋ねるシーンがある。質問された方も答えられず、「どこの国と戦争してるんだろう」と考えてしまうというものである。

 朝鮮は日本に統合され、建て前としては朝鮮人も「天皇陛下の赤子」だが、法律などの形式は整えても、中身を埋める努力はなされなかった。このため学校にも行ったことがなく、家事の手伝いをしているうちにいきなり慰安婦として連行された彼女たちには、何が何だか見当がつかないのである。このエピソードなども実態のない箱物国家の表れのように思われる。
 この作品はいわば、そういう女性たちの生き様を通したセックス論であり、日本人論といってよい。

 従軍慰安婦が一日に30人から50人もの兵士の相手をさせられたといった話はよく知られているが、作者は当時の資料を丹念に読み込み、そういう多数の男を相手にする女性の虚無感や、性病に感染した悩みや手当ての仕方、妊娠した慰安婦に対し、胎児に触って見たいといって膣の奥深く手を差し入れる兵士など、異常空間の性を浮き彫りにしている。とくに山道に散らばった60~70の死体にウジがたかり、内臓の部分から蛇が出てくるといったシーンは戦争の残酷さを象徴する衝撃的な場面で、日本人作家なら自己規制から避けて通るところだろうなと思われた。

 ただ読み進むうちに慰安所の客として朝鮮人兵士に、ぜひとも登場して欲しいという思いを抱いた。彼女と彼らによる戦争論、慰安所に対する考えなどは、この作家でなければ書けないことであり、箱物国家に対する新鮮な批判となるように感じられたからである。

金曜日刊/定価=2000円(税別)

(しもかわ こうし /風俗史家)


閉じる