【対談】 韓半島の真の解放 今こそ我々の手で①― 金暎勳×洪熒

苦難と経済発展を越えて 整理と再出発の時
日付: 2010年08月15日 00時00分

 

 1948年8月15日、大韓民国が樹立した。日本の植民地から解放されてちょうど3年目のことだった。しかし、韓半島北部には異なる体制の政府があった。なぜ韓半島は分断され、今も分断したままなのか。決定的な歴史的事件などを挙げつつ、統一に至れない現代韓国の問題まで、本紙駐ワシントン論説委員の金暎勲氏と、同論説委員洪熒氏に語ってもらった。(聞き手=溝口恭平)

―解放から65年というが、韓半島は本当に解放されたのか。
金暎勳

  「韓半島は第2次大戦後、連合国によって解放されたが、朝鮮王朝時代へ戻らなかった。38度線で分断され、共産主義と自由民主主義体制が対峙するようになった。そして武力で全韓半島の共産化を狙った6・25戦争(朝鮮戦争)が起きた」

  「第2次大戦の戦後秩序の構築で忘れてはならないのは1945年2月のヤルタ会談だ」

  「ヤルタ会談の公開されていない重要部分は韓半島の分割だ。米ソによる信託統治と思っていたが、実はそれは理念による分割を意味していた。これが一番の核心だ。分割統治を実務的に主導したのが米国務省のアルジャー・ヒスだ」

  「ルーズベルトの片腕といわれた米国務次官補でありながら、ソ連のスパイだった人物ですね」

  「ヒスは1951年にスパイ容疑で逮捕され、約6年間服役した。韓国の初代大統領になる李承晩博士は、ルーズベルトに上海臨時政府を認定してもらおうとしたが、ヒスは『わかった』といいつつ受け取った書類を放置した。補足をすると、中華民国の蒋介石初代総統が毛沢東に中国を奪われたのもヒスの工作によるものだった」

  「上海臨時政府が連合国側に認められていたら、韓半島の運命は変わっていたはずだ」

  「ヒスはルーズベルトとトルーマン大統領の時代を含め、米国のみならず自由主義陣営全体をスパイ活動によって翻弄した。韓半島は、はじめからスターリンの策略によって分割される運命だった」

  「国連だけでなく、IMF創設時の米国代表のホワイトもソ連のスパイだったように、国際政治も経済も事実上ソ連が操る不利な状況下で韓半島の体制が固められた。ソ連はすでにイデオロギー戦争を始めていたが、米国は鈍かった」

  「1917年にボルシェビキ革命を起こしたソ連は、ソ連のみを共産化するだけでなく、全世界の労働者階級を団結させて共産主義世界を作ろうとした。中国をはじめアジア各地や韓半島、中南米など全世界へ共産主義を輸出・拡散した。米国ですら1930年代と40年代に共産主義の台頭が大きな政治・社会問題になった」

―韓半島はどうだったか。

  「35年間日本の植民地統治を受けた韓半島では、植民地からの解放という名分に、社会主義や共産主義勢力による工作が知識層はもちろん、民衆にまで浸透していた。45年の解放時点で、封建時代へ戻ろうという人は韓半島にいなかった。韓国人の誰も王政の復活を望まなかった。植民統治への反動で、民族解放を打ち出す社会主義勢力による政治工作が浸透した。そしてソ連の軍事力を背景に韓半島の北半部にスターリン主義が移植された」

  「韓国も形を変えた米国の植民地と自虐する人が、若者はもちろん40、50代にも多い。何度も言うが、韓半島の分断はソ連のスパイ、ヒスの暗躍などによるものだ」

  「第2次大戦でのアメリカの戦争目標や関心は、戦争を如何に早く終わらせるか、いかに日本軍を武装解除するかだった。しかしスターリンは、戦勝により社会主義をどれだけ拡散するか、領土をどれほど拡大するかを追求した。米国は圧倒的な力を持っていたが、理念的目標はなかった。両側の思想が初めてぶつかった場所が韓半島だった」


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