―韓国にとって本当の8・15とは。
洪 「8・15の意味は二つ。解放と建国だ。『光復節』の名のとおり、植民地からの解放を祝う向きだったが、近年は、保守愛国勢力を中心に、建国の方に重きを置くようになった。解放は、他力によるものだが、建国は、韓民族が歴史上初めて自由民主主義憲法を持った国民国家として歩みだしたものだ。そういう次元で、8・15は『建国節』に名称を変えるべきだという主張も妥当だ。20世紀の世界史の中で韓国が建国された経緯と意義が正しく整理・教育されていない。これが問題だ」
金 「1948年の総選挙で、自由民主主義の大韓民国という共和国ができた。功労者である李承晩の業績を記憶すべきなのに、それはできていない。実に惜しいことだ。逆に違憲性の高い2000年の6・15宣言で、南北関係がいわゆる和解ムードに変わるや、李承晩よりも金九を民族の指導者として仰ぐ流れが形成された。大韓民国の正統性を全面的に否認する作業が01年から本格化したということだ。大韓民国の誕生以来、最も重要な精神的危機だ」
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洪熒 |
洪 「1945年12月、米英ソ3国がモスクワで韓半島を信託統治すると決定した。南労党をはじめ内外の諸左派はこの決定を支持した。当時賛成した南労党と(朝総連を含む)左派は、ソ連の意のままに動く勢力だった。解放後に民主主義国家を作った李承晩は、偉大なリーダーだった。今日、韓国社会で英雄視される金九は、大韓民国の建国過程では何も寄与していない。逆に、平壌側に利用された。金九を操った成始伯は、北の工作員だった」
金 「6・25戦争以後、韓国におけるいわゆる民主化要求や示威は、純粋な政治的意味でデモクラシーを実現しようというものだけではなかった。政府を倒し、北韓のような社会体制を目指すものも多く紛れ込んでいたと認識されてきた。力の弱かった当時の『民主化』団体は陰に陽に北韓の支援を受け、利用されてきた。この点を直視せねばならない」
―6・25戦争の真実を改めて。
金 「1950年1月19日、金日成はスチコフ駐平壌ソ連大使に『戦争許可をスターリンから得てくれ』と頼んだ。スターリンは最終的に南侵戦争を承認し、金日成は6月25日に南侵を始めた。しかし北は、アメリカが李承晩をそそのかして始めた戦争だと言い張っている」
洪 「中国共産党系の『環球時報』は今年6月、6・25戦争は、スターリンと金日成が起こしたものだと報じた。中国は関わりたくなかったが巻きこまれたと主張しているが、戦争はスターリンと毛沢東、金日成によって起きたことは言うまでもない」
金 「もし、戦争がなかったら韓半島は統一されていた可能性が高い。東西ドイツほどではないにせよ、これほどの不信や対決、分裂は避けられたかも知れない。ソ連の秘密資料には、1950年10月11日、金日成が平安北道・満浦鎮にいた時、『またも米軍のせいで北朝鮮から追い出され、二度と平壌を奪い返すことはできない』と話したと記されている。部下に満州で身を隠す場所を用意しろとまで命じた。ところが、中共軍が大挙韓半島を侵略することで金日成は生き延びた」
洪 「停戦で海上北方限界線(NLL)ができた。そもそも制空・制海権は国連軍が完璧に掌握したため、北は海岸線が境界線だった。国連軍司令官が一方的にNLLを宣言して北も領海を持てるようになった」
金 「53年に大統領に就任したアイゼンハワーは、原爆を使って早く戦争を終わらせようとした。作戦名は『オペレーション・ハドソン・ハーバー』。中ソや金日成はこの作戦の存在を知り、停戦協定に応じて今の休戦線が決まった。北にとって黄海道を海上封鎖している白翎島、大青島など西海5島が頭痛の種だ。戦争が再発するなら、北韓がこれらの島への攻撃から始まるだろう」
洪 「建国時に李承晩大統領が農地改革を実施したのが、6・25戦争で北韓の侵攻を止められた決定的な背景の一つだった。実際に命をかけて戦った越南者(北韓出身者)は共産主義を嫌って、農民は農地改革で初めて得た土地を護るため戦った。韓半島史上初めて価値観と理念のため戦ったのが6・25戦争だった」