深層取材、「核の双子」イランと北韓の密着の秘密‐(上)

イラン-イラク戦に北韓軍将校が数千人参戦した。戦死者も数百人。イランと北韓は血盟関係。 「北韓は核実験資料と核爆弾の設計図をイランに売る」-脱北科学者。
日付: 2010年08月08日 20時25分

趙甲済
深層取材:イランと北韓の核取引(月刊朝鮮2006年11月号)
 
イランと北韓の核の癒着
国連安保理の制裁対象になったイランと北韓は「核の双子」だ。イランはウラニウム濃縮方式による核爆弾製造を試みている。北韓はプルトニウム原爆を作って実験した。両国は共にテロ支援国家と指定されており、世界随所の各種テロ活動に介入してきた。イラン大統領マフムード・アフマディーネジャードは、金正日のように公式席上でノータイ姿だ。アメリカへの二人の毒説は似ている。
 
もちろん、両国はブッシュ行政府によって「悪の軸」に指名されている。両国は孤立するほどもっと近づいている。イランは、去る7月5日、北韓がミサイル発射試験を行った時、その現場に参観団を送った。北韓の核実験場所にイランの参観団がきて実験を見守ったはずという諜報もある。北韓はイランにスカッドとノドンミサイルを売り、技術を提供し、ミサイル工場まで作ってあげた。イランは北韓にお金と油を提供した。イラン-イラク戦争の時、北韓はイランに武器をたくさん売った。
 
この両国の協力関係が尋常でないという指摘がこの頃随分言われている。要するに、ミサイル開発に協力した両国が、核兵器の開発にも協力するかも知れないという分析だ。去る6月23日付の「クリスチャンサイエンスモニター」紙は、「イランは北韓の核戦略を研究しているのか?」という題名の記事を掲載した。米ロードアイランド州ニューポートにある海軍大学の北韓専門家であるジョナサン・ポルラク教授はこう話した。
「両国は互いを観察し研究しているだけでなく、ノートを互いに比較しているかも知れない。」
 
米国務部の非拡散担当次官補だったロバート アインホン(ワシントンの国際戦略問題研究所)氏は、「両国は競争的に世界の関心を引こうとする」と言った。
「イランのアフマディーネジャード大統領と強硬派は、北韓が難関を解決していくのを見て、『われわれも屈服する理由がない』と考えるだろう。」
 
両国は、米国が(両国の)政権交替を図っていると判断し、米国と直接談判を望んでいる点も同じだ。もちろん、米国は6者会談のような国際的枠組みを通じての対話にだけ応じるという立場だ。
 
一つ異なる点は、イランは北韓ほど徹底に孤立していないという点だ。北韓は戦略物資の油を輸入せねばならないが、イランが相当量を供給している。イランと北韓の密着関係が核技術の相互移転に進展するのは米国と世界の悪夢だ。例えば、北韓の核爆弾の設計図や核実験資料、さらに核爆弾や核物質がイランへ渡されるなら?
 
悪夢
イランと北韓が、核技術と核物質と核爆弾をやり取りしこの二つの「悪の軸」を中心にテロ団体が連結されて、遂に米国の都市に対する核テロが起きたら? 米国がこの両国に対して抱いている最終的な心配がまさにこういうものだ。
 
如何なる場合も、北韓の核武装を許容しないというブッシュ行政府の強硬な対北政策とは別に、米国の安保専門家たちの間では、「北韓とイランが核保有国になるのを防ぐ方法がないので、核武装した両国と共存しながら対策をたてねばならない」という意見も少なくない。
 
こういう主張をする人々は決して親北的か宥和論者などでない。例えば、北核問題に対して誰より実務経験が多いクリントン政府1期の国防長官ウィリアムJ. ペリーは、去年の夏、北韓がミサイル発射を準備する時、「米国はミサイル発射台を先制攻撃すべきだ」と寄稿したことがある。ペリーは、北韓とイランの核武装を防ぐのが事実上不可能になったと主張する代表的な人物だ。 去る5月24日、ワシントンで「国家政策センター」主催の行事の時、ペリー元長官は、「イランと北韓、そして核拡散という挑戦」という題名で演説した。
 
米国の都市に対する核テロの可能性
ペリー元長官はこの演説で、「米国が直面した最も大きな安保上の危機は、テロリストらが核兵器を持って米国の都市を攻撃すること」だと強調した。彼は「ハーバード大学のグレアム・エリソン教授が、10年内に米国のある都市でテロ集団によって核爆弾が爆発する可能性を50対50と見たのは楽観しすぎだ。私はそれよりもっと早く核テロが起きると考える」と話した。
 
彼は、自分は任期中、核物質や核爆がテロ集に移転されないようにすることに注力したと言った。核減縮プログラムによって約1万個の核爆が米ロシアで解体された。ペリー元長官は、「北韓の絶望的な経済状況を見ると、彼らは核爆や核物質をテロ体に販する可能性がある」と言った。
 
ペリー元長官は、ブッシュ行政府の北・対イラン政策が失敗して両国だけでなく、日本、韓国、エジプト、サウジ、トルコのような国々が、核開発のをするようになり、こういう核散の結果で米の都市が核テロに曝されるかも知れない危機が現になりつつあると警告した。
彼はブッシュ行政府にして、いくつかの政策建議をした。
<1.外交政策を修正せよ。直接話と並行してさらに果的な迫手段を講ぜよ。
2.軍事攻で核施設を破するという計画や交替の政策を棄せよ。
3.核武装した北韓、イランと共存しながら安保を維持できる対応策を講ぜよ>
 
彼は、北韓の核施設にする攻は不可能と定した。
「再理施設と原子炉は無くせるが、プルトニウムや核爆がどこにあるかは知らない。仮に、プルトニウムと核爆を軍事攻で除去してももっと危なことが起きる。第2次韓国戦争が起きる可能性だ。その被害規模は1次韓国戦争を凌駕する。しかも韓戦争に反している。
核武装した北韓にしてミサイル防御網を作るのは良いが、必ず欠点が現われる。問題の核心は、北韓が核爆を誰かにって彼らが核爆をミサイルでなくトラックや貨物船に積む時策があるのかである。
米・ソ冷の時のように米倒的な軍事力で北韓米攻念させることはできるが、果たして彼らが核爆弾を売るのを防げるだろうか? アメリカの都市で核テロが起きれば北韓対して報復攻すると宣言はできるが、問題の核爆北韓製であることを証明する方法があるだろうか?
結論的に北韓にては魅力的な策がっていない。国やが北韓に対して経済力手段を使おうとしないためなおさらだ。」
 
ペリー元長官は、イランにして米やヨロッパがいくら努力しても核武装を防ぎ難いと言った。イランの核施設を攻するのも一回や二回では成功できず、必ず長い戦争になるだろう。ロッパ地域にミサイル防御網を設置することはできるが、イランの場合、最大の危は彼らが核物質や核爆をテロ集に渡すことだと言った。
 
彼は、「イスラエルが
単独でイランの核施設を攻するのは米による攻よりもっと大きな失敗になる」と警告した。イスラエルが独断的にイランを攻しても、イスラム世界は米がさせたと思うはずだ。イスラエルは米のようにきれいに軍事的に片付ける力がないため副作用がより大きくなる。ペー元長官は、「イスラエルのイラン攻は最の選択」と憂慮した。
 
ペリー元長官は、「ブッシュ行政府の政策は『完全な失敗』だから、新しい略を考案せねばならない」と主張した。両国する政交替略を放棄する代りに、直接話を始め、同時に連憲章第7による際封鎖を模索すべきだということだ。
 
アメリカの安保門家たちの話を聞いてみると、彼らが最も心配するのは、イランと北韓が作った核爆と核物質がテロ集に移ってこれが米国内に搬入されて、ある都市全体を破する核テロの可能性だ。彼らは、特に北韓の過去の行動から見て、お金をたくさん払うと言えば核爆をテロ集に売る可能性が非常に高いと見ている。
 
こういうぞっとする可能性にして、「それは可能性でなく現だ。これから間違いなくその方向に展開するだろう」と言する人にった。
 
イラン-イラク北韓軍が大挙参戦
北韓軍で高位軍務員として仕事をしたこの脱北者は、1986年イランに行って約6ヶ月間ミサイル基地工事に加した高位級科者だった。彼を便宜上K氏と呼ぶ。K氏は、驚くべき証言をした。イラン-イラク戦争の時、北韓校が千人参戦し、イランの革命守備隊の指揮官として線に投入されたという。勢が不利になるやイラクは毒ガスを使ったが、この時、北韓校がたくさん死したとK氏は言った。北韓校の死者は百人に達すると言った。
 
「テヘランの北にイラン-イラク戦争の犠牲者墓地があります。そこに死した北韓校たちが埋められました。私も行って献花したことがあります。北韓死者の名前がアラビア語で書かれていたのが印象的でした。
イラン側は聖で死んだといって北韓軍人たちをイスラム徒のように待遇しました。イラン政府は死者1人り1万ドル以上を補償しましたが、北韓局が全部取りし遺族には1000ドルだけをえました。それでも有難いといいました。平に戻ってきた後、参戦した多くの北韓校たちにいました。
イランと北韓は長い血盟の関係です。この点が分かってこそ、なぜ去る7月ミサイル射場にイランの参観ていたのか、なぜ北韓の核実験資料がイランに渡るに違いないのかを理解するようになります。北韓は核技術だけでなく、プルトニウムや核爆までイランに売る可能性があります。今のように資金源が詰まればその可能性はさらに高まります。北韓がイランを通じて核物質をテロ体にり渡せば、元々の出所がどこなのかが突き止め難いでしょう。」
 
K氏によれば、北韓校たちは官や顧問官の仕事をしたのでなく、直接中隊長や大隊長として実戦を指揮したという。イラン-イラク戦争の時、イランは追出されたパレビ王が作った正規軍を信頼せず、イラン革命の政治的主力だった革命守備隊を一線に投入した。
 
革命守備隊は革命の情熱と殉
精神はかったが、戦闘においてはアマチュアだった。しかも、武装が乏しかった。イランと北韓の血盟係は、北韓が各種武器をセットでって革命守備隊を武装させながら始まったという。K氏はこの部門の門家だ。
「イラン-イラク戦争の時、イランは小銃からミサイルまで北韓製武器でったと見れば良いです。 軍服を除けば全部北韓製武器を以て武装しました。師団、全体を武装させる形で北韓がまるごと武器を供給しました。小銃、装甲車、自走砲、放射砲、地雷、機銃、スカッドミサイルと高速艇、潜水艇までりました。
イランは、際的に孤立されて、米国やソ連から武器が買えませんでした。中産武器は買えましたが、取扱いが簡で値段が安い北韓産が革命守備隊の水準に合うと判しました。砂漠でうには精巧で複な武器がかえって逆果を出しますね。武器をったから北韓としては武器の取扱い方法をえねばならず、そうしながら自然に実戦加するようになりました。革命守備隊として反革命的なイラン正規軍の校より北韓校たちをもっと信頼しましたよ。」
K氏の話を理解するためにはイラン-イラク戦争する明が必要だ。
 
イラクの誤判
1980年9月、イラクがシャトエルアラブ水路を渡ってイランを奇襲攻して始まったイラン-イラク戦争は、8年間続いて1988年8月に終わった。この戦争でイランは約100万人が死傷した。イラクは約40万人の死傷者を出した。牲者ので20世紀に起きた10大戦争に入る。
 
「6.25南侵
戦争」のようにこの戦争は引分けで終わった。イラクの裁者フセインは、1979年のホメイニの革命によって混乱状態に陥ったイランを打てば容易に勝てると誤判した。際情勢もイラクに有利だった。米国やソ連だけでなく、中東のアラブの国々はイスラム原理主義の革命熱気が自に及ぶのではと戦々とした。
サウジやクウェトなどアラブ産油らがイラクを物質的・金銭的に支援した。イラクは、イラン革命の散を防ぐためのこのアラブ国々の代理をしたわけだ。ソ連もホメイニが執した後共産党を弾圧するのを見てはイラクに武器をるなど様々な面で支援し始めた。ソ連製武器がイラク軍隊を武装させた。
 
イランは、パレビ時代に大な軍事力を整えたが、革命を経ながら指揮官たちが粛清され、米製武器の部品の供給が絶たれた。それにもかかわらず、イラン軍隊は奇襲されながらもよく持ち堪えた。1982年からイランは失地を修復しイラク領土内へした。
 
約30億ドル分の北韓製武器を輸入
イラク南部のバスラとパオ島の付近で激が行われた。第一次世界大の時、フランスとドイツ接境地で行われたような陣地だった。方の死者が一日1万人に達したこともあった。今度はイラクがよく持ち堪えた。守勢に追いまれたイラクは、テヘランをスカッドミサイルで攻し、爆機で空襲し、後は毒ガスを使用した。戦闘はペルシャ湾のタンカと原油タミナル攻撃戦に拡大した。
 
際的に孤立したイランに武器を売った国はシリア、リビア、中国、北韓だった。この中で北韓が最も多くった。イラン-イラク戦争の時、北韓は拳銃からスカッドミサイルまで約30億ドル分の武器をイランにったと推定される。1960年代に韓にベトナム特需があったように、1980年代に北韓にはイラン特需があった。この中でスカッドミサイルの取引は、今までイランと北韓をつないでおり、韓と米の頭痛の種になった。
 

1985年、イラン大統領のラプサンジャニは北韓を訪問して武器販対して合意した。イランは、北韓のミサイル開にお金を出し、北韓はイランにミサイルと製造技術をって工場まで作ってあげることにした。イラクは、テヘランなどイランの色な都市にソ連製スカッドミサイルをちまくってイラン住民約2000人が死んだ。イランも対応せねばならなかった。存のミサイル在庫を全部ってしまったイランは北韓と密着せざるを得なくなった。(つづく)

写真(上から):イランのアフマディーネジャード大統領、北の長距離弾道ミサイル発射実験、ロバート・アインホン国務部次官補、ウィリアム・ペリー元国防長官、イスラエル空軍機、イランの革命守備隊、イラン‐イラク戦争。


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