趙甲済
深層取材:イランと北韓の核取引(月刊朝鮮2006年11月号)
イランと北韓の核の癒着
国連安保理の制裁対象になったイランと北韓は「核の双子」だ。イランはウラニウム濃縮方式による核爆弾製造を試みている。北韓はプルトニウム原爆を作って実験した。両国は共にテロ支援国家と指定されており、世界随所の各種テロ活動に介入してきた。イラン大統領マフムード・アフマディーネジャードは、金正日のように公式席上でノータイ姿だ。アメリカへの二人の毒説は似ている。
もちろん、両国はブッシュ行政府によって「悪の軸」に指名されている。両国は孤立するほどもっと近づいている。イランは、去る7月5日、北韓がミサイル発射試験を行った時、その現場に参観団を送った。北韓の核実験場所にイランの参観団がきて実験を見守ったはずという諜報もある。北韓はイランにスカッドとノドンミサイルを売り、技術を提供し、ミサイル工場まで作ってあげた。イランは北韓にお金と油を提供した。イラン-イラク戦争の時、北韓はイランに武器をたくさん売った。
この両国の協力関係が尋常でないという指摘がこの頃随分言われている。要するに、ミサイル開発に協力した両国が、核兵器の開発にも協力するかも知れないという分析だ。去る6月23日付の「クリスチャンサイエンスモニター」紙は、「イランは北韓の核戦略を研究しているのか?」という題名の記事を掲載した。米ロードアイランド州ニューポートにある海軍大学の北韓専門家であるジョナサン・ポルラク教授はこう話した。
「両国は互いを観察し研究しているだけでなく、ノートを互いに比較しているかも知れない。」
米国務部の非拡散担当次官補だったロバート アインホン(ワシントンの国際戦略問題研究所)氏は、「両国は競争的に世界の関心を引こうとする」と言った。 「イランのアフマディーネジャード大統領と強硬派は、北韓が難関を解決していくのを見て、『われわれも屈服する理由がない』と考えるだろう。」
両国は、米国が(両国の)政権交替を図っていると判断し、米国と直接談判を望んでいる点も同じだ。もちろん、米国は6者会談のような国際的枠組みを通じての対話にだけ応じるという立場だ。
一つ異なる点は、イランは北韓ほど徹底に孤立していないという点だ。北韓は戦略物資の油を輸入せねばならないが、イランが相当量を供給している。イランと北韓の密着関係が核技術の相互移転に進展するのは米国と世界の悪夢だ。例えば、北韓の核爆弾の設計図や核実験資料、さらに核爆弾や核物質がイランへ渡されるなら?
悪夢
イランと北韓が、核技術と核物質と核爆弾をやり取りしこの二つの「悪の軸」を中心にテロ団体が連結されて、遂に米国の都市に対する核テロが起きたら? 米国がこの両国に対して抱いている最終的な心配がまさにこういうものだ。
如何なる場合も、北韓の核武装を許容しないというブッシュ行政府の強硬な対北政策とは別に、米国の安保専門家たちの間では、「北韓とイランが核保有国になるのを防ぐ方法がないので、核武装した両国と共存しながら対策をたてねばならない」という意見も少なくない。
こういう主張をする人々は決して親北的か宥和論者などでない。例えば、北核問題に対して誰より実務経験が多いクリントン政府1期の国防長官ウィリアムJ. ペリーは、去年の夏、北韓がミサイル発射を準備する時、「米国はミサイル発射台を先制攻撃すべきだ」と寄稿したことがある。ペリーは、北韓とイランの核武装を防ぐのが事実上不可能になったと主張する代表的な人物だ。 去る5月24日、ワシントンで「国家政策センター」主催の行事の時、ペリー元長官は、「イランと北韓、そして核拡散という挑戦」という題名で演説した。
米国の都市に対する核テロの可能性
ペリー元長官はこの演説で、「米国が直面した最も大きな安保上の危機は、テロリストらが核兵器を持って米国の都市を攻撃すること」だと強調した。彼は「ハーバード大学のグレアム・エリソン教授が、10年内に米国のある都市でテロ集団によって核爆弾が爆発する可能性を50対50と見たのは楽観しすぎだ。私はそれよりもっと早く核テロが起きると考える」と話した。
彼は、自分は任期中、核物質や核爆弾がテロ集団に移転されないようにすることに注力したと言った。核減縮プログラムによって約1万個の核爆弾が米国とロシアで解体された。ペリー元長官は、「北韓の絶望的な経済状況を見ると、彼らは核爆弾や核物質をテロ団体に販売する可能性がある」と言った。
ペリー元長官は、ブッシュ行政府の対北・対イラン政策が失敗して両国だけでなく、日本、韓国、エジプト、サウジ、トルコのような国々が、核開発の競争をするようになり、こういう核拡散の結果で米国の都市が核テロに曝されるかも知れない危機が現実になりつつあると警告した。
彼はブッシュ行政府に対して、いくつかの政策建議をした。
<1.外交政策を修正せよ。直接対話と並行してさらに効果的な圧迫手段を講ぜよ。
2.軍事攻撃で核施設を破壊するという計画や政権交替の政策を廃棄せよ。
3.核武装した北韓、イランと共存しながら安保を維持できる対応策を講ぜよ>
彼は、北韓の核施設に対する攻撃は不可能と断定した。
「再処理施設と原子炉は無くせるが、プルトニウムや核爆弾がどこにあるかは知らない。仮に、プルトニウムと核爆弾を軍事攻撃で除去してももっと危険なことが起きる。第2次韓国戦争が起きる可能性だ。その被害規模は1次韓国戦争を凌駕する。しかも韓国は戦争に反対している。
核武装した北韓に対してミサイル防御網を作るのは良いが、必ず欠点が現われる。問題の核心は、北韓が核爆弾を誰かに売って彼らが核爆弾をミサイルでなくトラックや貨物船に積む時対策があるのかである。
米・ソ冷戦の時のように米国の圧倒的な軍事力で北韓の対米攻撃を断念させることはできるが、果たして彼らが核爆弾を売るのを防げるだろうか? アメリカの都市で核テロが起きれば北韓に対して報復攻撃すると宣言はできるが、問題の核爆弾が北韓製であることを証明する方法があるだろうか?
結論的に北韓に対しては魅力的な対策が残っていない。中国や韓国が北韓に対して経済的圧力手段を使おうとしないためなおさらだ。」
ペリー元長官は、イランに対して米国やヨーロッパがいくら努力しても核武装を防ぎ難いと言った。イランの核施設を攻撃するのも一回や二回では成功できず、必ず長い戦争になるだろう。ヨーロッパ地域にミサイル防御網を設置することはできるが、イランの場合、最大の危険は彼らが核物質や核爆弾をテロ集団に渡すことだと言った。
彼は、「イスラエルが単独でイランの核施設を攻撃するのは米国による攻撃よりもっと大きな失敗になる」と警告した。イスラエルが独断的にイランを攻撃しても、イスラム世界は米国がさせたと思うはずだ。イスラエルは米国のようにきれいに軍事的に片付ける実力がないため副作用がより大きくなる。ペリー元長官は、「イスラエルのイラン攻撃は最悪の選択」と憂慮した。
ペリー元長官は、「ブッシュ行政府の政策は『完全な失敗』だから、新しい戦略を考案せねばならない」と主張した。両国に対する政権交替戦略を放棄する代りに、直接対話を始め、同時に国連憲章第7条による対北国際封鎖を模索すべきだということだ。
アメリカの安保専門家たちの話を聞いてみると、彼らが最も心配するのは、イランと北韓が作った核爆弾と核物質がテロ集団に移ってこれが米国内に搬入されて、ある都市全体を破壊する核テロの可能性だ。彼らは、特に北韓の過去の行動から見て、お金をたくさん払うと言えば核爆弾をテロ集団に売る可能性が非常に高いと見ている。
こういうぞっとする可能性に対して、「それは可能性でなく現実だ。これから間違いなくその方向に展開するだろう」と断言する人に会った。
イラン-イラク戦に北韓軍が大挙参戦
北韓軍で高位軍務員として仕事をしたこの脱北者は、1986年イランに行って約6ヶ月間ミサイル基地工事に参加した高位級科学者だった。彼を便宜上K氏と呼ぶ。K氏は、驚くべき証言をした。イラン-イラク戦争の時、北韓軍将校が数千人参戦し、イランの革命守備隊の指揮官として戦線に投入されたという。戦勢が不利になるやイラクは毒ガスを使ったが、この時、北韓軍将校がたくさん戦死したとK氏は言った。北韓将校の戦死者は数百人に達すると言った。
「テヘランの北にイラン-イラク戦争の犠牲者墓地があります。そこに戦死した北韓軍将校たちが埋められました。私も行って献花したことがあります。北韓軍戦死者の名前がアラビア語で書かれていたのが印象的でした。
イラン側は聖戦で死んだといって北韓軍人たちをイスラム教徒のように待遇しました。イラン政府は戦死者1人当り1万ドル以上を補償しましたが、北韓当局が全部横取りし遺族には1000ドルだけを与えました。それでも有難いといいました。平壌に戻ってきた後、参戦した多くの北韓軍将校たちに会いました。
イランと北韓は長い血盟の関係です。この点が分かってこそ、なぜ去る7月ミサイル発射場にイランの参観団が来ていたのか、なぜ北韓の核実験資料がイランに渡るに違いないのかを理解するようになります。北韓は核技術だけでなく、プルトニウムや核爆弾までイランに売る可能性があります。今のように資金源が詰まればその可能性はさらに高まります。北韓がイランを通じて核物質をテロ団体に売り渡せば、元々の出所がどこなのかが突き止め難いでしょう。」
K氏によれば、北韓軍将校たちは教官や顧問官の仕事をしたのでなく、直接中隊長や大隊長として実戦を指揮したという。イラン-イラク戦争の時、イランは追出されたパーレビ王が作った正規軍を信頼せず、イラン革命の政治的主力だった革命守備隊を一線に投入した。
革命守備隊は革命の情熱と殉教精神は強かったが、戦闘においてはアマチュアだった。しかも、武装が乏しかった。イランと北韓の血盟関係は、北韓が各種武器をセットで売って革命守備隊を武装させながら始まったという。K氏はこの部門の専門家だ。 「イラン-イラク戦争の時、イランは小銃からミサイルまで北韓製武器で戦ったと見れば良いです。 軍服を除けば全部北韓製武器を以て武装しました。師団、軍団全体を武装させる形で北韓がまるごと武器を供給しました。小銃、装甲車、自走砲、放射砲、地雷、機関銃、スカッドミサイルと高速艇、潜水艇まで売りました。
イランは、国際的に孤立されて、米国やソ連から武器が買えませんでした。中国産武器は買えましたが、取扱いが簡単で値段が安い北韓産が革命守備隊の水準に合うと判断しました。砂漠で戦うには精巧で複雑な武器がかえって逆効果を出しますね。武器を売ったから北韓としては武器の取扱い方法を教えねばならず、そうしながら自然に実戦に参加するようになりました。革命守備隊として反革命的なイラン正規軍の将校より北韓軍将校たちをもっと信頼しましたよ。」
K氏の話を理解するためにはイラン-イラク戦争に対する説明が必要だ。
イラクの誤判
1980年9月、イラクがシャトエルアラブ水路を渡ってイランを奇襲攻撃して始まったイラン-イラク戦争は、8年間続いて1988年8月に終わった。この戦争でイランは約100万人が死傷した。イラクは約40万人の戦死傷者を出した。犠牲者の数で20世紀に起きた10大戦争に入る。
「6.25南侵戦争」のようにこの戦争は引分けで終わった。イラクの独裁者フセインは、1979年のホメイニの革命によって混乱状態に陥ったイランを打てば容易に勝てると誤判した。国際情勢もイラクに有利だった。米国やソ連だけでなく、中東のアラブの国々はイスラム原理主義の革命熱気が自国に及ぶのではと戦々恐々とした。 サウジやクウェートなどアラブ産油国らがイラクを物質的・金銭的に支援した。イラクは、イラン革命の拡散を防ぐためのこのアラブ国々の代理戦をしたわけだ。ソ連もホメイニが執権した後共産党を弾圧するのを見てはイラクに武器を売るなど様々な面で支援し始めた。ソ連製武器がイラク軍隊を武装させた。
イランは、パーレビ時代に強大な軍事力を整えたが、革命を経ながら指揮官たちが粛清され、米国製武器の部品の供給が絶たれた。それにもかかわらず、イラン軍隊は奇襲されながらもよく持ち堪えた。1982年からイランは失地を修復しイラク領土内へ進撃した。
約30億ドル分の北韓製武器を輸入
イラク南部のバスラとパオ島の付近で激戦が行われた。第一次世界大戦の時、フランスとドイツ接境地帯で行われたような陣地戦だった。双方の戦死者が一日1万人に達したこともあった。今度はイラクがよく持ち堪えた。守勢に追い込まれたイラクは、テヘランをスカッドミサイルで攻撃し、爆撃機で空襲し、後は毒ガスを使用した。戦闘はペルシャ湾のタンカーと原油ターミナル攻撃戦に拡大した。
国際的に孤立したイランに武器を売った国はシリア、リビア、中国、北韓だった。この中で北韓が最も多く売った。イラン-イラク戦争の時、北韓は拳銃からスカッドミサイルまで約30億ドル分の武器をイランに売ったと推定される。1960年代に韓国にベトナム戦特需があったように、1980年代に北韓にはイラン特需があった。この中でスカッドミサイルの取引は、今までイランと北韓をつないでおり、韓国と米国の頭痛の種になった。
1985年、イラン大統領のラプサンジャニは北韓を訪問して武器販売に対して合意した。イランは、北韓のミサイル開発にお金を出し、北韓はイランにミサイルと製造技術を売って工場まで作ってあげることにした。イラクは、テヘランなどイランの色々な都市にソ連製スカッドミサイルを撃ちまくってイラン住民約2000人が死んだ。イランも対応せねばならなかった。既存のミサイル在庫を全部撃ってしまったイランは北韓と密着せざるを得なくなった。(つづく)
写真(上から):イランのアフマディーネジャード大統領、北の長距離弾道ミサイル発射実験、ロバート・アインホン国務部次官補、ウィリアム・ペリー元国防長官、イスラエル空軍機、イランの革命守備隊、イラン‐イラク戦争。