趙甲済
1973年1月のベトナム戦のパリ平和協定と1953年7月の韓国停戦協定は違う点が多い。
1.パリ停戦協定で駐越米軍は撤収したが南ベトナムにあったベトコン軍は撤退しなかった。
2.米軍は南韓に残ったが、北韓では中共軍が撤収した。
3.ベトナムでは北緯17度線が軍事境界線として守られなかったが、韓半島の休戦線は守られた。韓・米同盟が頑強だったためだ。ベトナムでは17度線の管理をベトコンと北ベトナム軍が掌握した。
4.休戦後韓国では李承晩大統領の権力が強化されたが、南ベトナムではティウ政権が弱化した。
5.ベトナム戦ではニクソン大統領が南ベトナムの防御を空約ばかりしたが、李承晩は韓・米相互防衛条約を結んで防御約束を強制化した。
6.停戦協定後アメリカは南ベトナムから手を引いたが、米国は韓国をもっと深く支援するようになった。
こういう差を齎した最大の原因は、韓国には李承晩があったが、南ベトナムには無かったという点だ。