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晩聲社刊/定価1500円(税別) |
高校のとき、中国語をかじった。外大出の先生がいて、課外授業で教えてくれた。だが、叩き込むのは歌ばかり、おかげで「夜来香」はカラオケで歌えるようになったが、肝心の語学力はつかずじまい。平壌ウオッチャーのはしくれとして、中国語がまるでダメなのをいまも悔やんでいる。まあ、脳みその許容量をオーバーしていたからだけだけれど。
ここに五味洋治さんがいる。本書の帯を見れば、小生と違い、朝鮮語、中国語、英語が駆使できるとか。うらやましい。お目にかかったことはないが、北京発の東京新聞の記事はよく読んだ。面白い。なぜか? 語学力だけではないに違いない。北京の北朝鮮大使館へのアプローチのくだりに答えを見つけた。
〈私は中国に赴任した後、暇さえあれば、大使館前のベンチに座り、人の出入りを観察した。一人で出てくる大使館員に話しかけ、最近の国内の様子をそれとなく聞いた。努力が実って友人もできはじめ、徐々に内部の組織が分かってきた〉
「なーんだ」と思われるかもしれない。ぴかぴかの1年生記者ならいざしらず、そこそこ長く記者稼業をやっていると、このベンチに座れない。バカバカしいからである。だが、五味さんは砂ぼこり舞う異郷のベンチに座り続けた。えらい。そして、レストランで大使館幹部と親しくなる。生ビールを飲みながら、聞き出すひと言、ふた言。なにげない情報の蓄積が本書の信頼のもとになっている。
ところが、本書を読んでも、じゃあ、本当のところ、中朝関係はどうなっている? の疑問は氷解しない。代わりに、そういう拙速な問いを発すること自体、愚かではないかと痛感させてくれる。原理原則の共産主義国家なのに2国は、いつもいい加減、よく言えば融通無碍、ホンネとタテマエがないまぜになった、そのとらえどころのなさにわれわれはイラだつけれど、それこそ中朝関係の本当のところではないか、と教えてくる。
評者は楽浪郡をめぐって、平壌がいまなお神経を尖らせていることを注視してきた。たとえば、平壌の博物館にある国宝級の楽浪遺跡出土品を売り払おうとしている。主チユ体チェを標榜する自国の歴史観にそぐわないからである。このいともあっさりした「中国切り」心理が金王朝の底流にあるに違いない。「友誼より国益優先」で核実験を強行した平壌の思惑についての五味さんの分析を読みながら、古代朝鮮と中国について思いをはせた。3代目世襲を決めた平壌の行く末を知る上でも、本書は時宜を得た好著である。
(すずき たくま 毎日新聞編集委員)