閔庚菊(江原大学経済学科教授)
韓国社会で福祉国家の理念が新しいイシューとして登場している。その理念の構成を見ると、それは「福祉国家」を、脆弱階層を保護する政策の単純な意味を超え、持続可能な社会発展の原理として昇華していることが容易に分かる。社会的基本権と社会的責任論、共同体主義、人間の尊厳などはこの理念の哲学的基盤だ。また、この理念の公共政策の原則は、普遍的福祉、積極的福祉、そして公正な経済と革新経済を以て構成されている。
公共政策の実際を見ると、福祉国家の理念は、経済成長と安定をはじめ労働、医療、教育、産業、児童福祉、老人福祉、住宅、金融など韓国社会の隅々を包括する広範囲な「グランドデザイン」という点がはっきりと見られる。「新自由主義のため危険になった韓国社会を福祉革命」を通じて持続的な発展が可能な社会に作らねばならないということだ。彼らは福祉革命の出発が2012年の大統領選挙の勝利だと信じている。
福祉国家の理念が果たして持続可能な発展モデルなのか? 理論的にも経験的にも、いくら確かめてみても肯定するのは非常に難しい。
すべての理念は暗黙的にせよ明示的にせよ、根源的には人間観から出発するしかない。興味深くも、福祉国家の理念が前提にした哲学的根拠を見ると、個人の発展と社会発展を妨げる、それで人類学的に非常に疑わしい人間観を前提にしていることが難なく分かる。
左派の知識人たちは哲学的根拠として社会的責任論を前提にするが、個人の失敗を社会のせいにする人間たちが生きる福祉国家や世界が一体どう持続的な発展が可能なのか疑わざるをえない。政府から物質的に保護されることが恥ずかしいから、その保護を堂々としたものにするために作った言葉が哲学的根拠として前提した「社会的基本権」だ。自らの生産活動でなく、他人の生産活動の結果に依存することを堂々としたものだと信じさせ「福祉国家の理念」が、持続可能な発展原理という主張はとんでもない。
福祉国家が人間の尊厳と価値を保護するというのもとんでもない主張だ。失敗を社会のせいにし、それで政府の官僚主義に依存してこそ尊厳と価値を感じる人間たちが住む世界が発展できるだろうか。人類が痩せた原始社会を克服して今日の文明社会を可能にしたのは、文化的進化を通じて社会的責任を自己責任に、集団主義から個人の自由を重視する個人主義に交替した結果ということを左派知識人たちは忘却している。
左派知識人らが金科玉条と思う「普遍的福祉」の概念も説得力のないのは同じだ。この概念の導入背景が非常に興味深い。恥ずかしいことを堂々としたものにするために、「社会的基本権」の概念を導入したが、それでも実際には保護を受ける者という烙印を避けられないから、「普遍主義」という概念を導入したのだ。それでこの概念を通じて全ての社会構成員を福祉受恵者にする各種社会保険を正当化している。「無償給食」主張もこれと同じだ。
ところが、「普遍主義」は政府の保護が必要でない人もなぜ福祉の受恵者にならねばならないかの問題に答えられないことを、英敏な左派知識人たちが知らないはずがない。それで彼らが導入した論理が一種の運命共同体に似た論理だ。全ての人は老齢、失業、健康、失業のような同じ危険に同様に露出されており、それで皆同じ船に乗っているように、同じ運命に処しているという論理だ。
しかし、これも的確性のないことは同じだ。非常に同質的な社会でだけ適用できる論理だ。巨大な開かれた社会に適用するのは難しい。こういう開放社会の特徴は、個人ごとに危険らが質的にも量的にも多様で、これに必要な福祉サービスの需要が非常に多様だという点だ。
福祉国家の理念が持続可能な社会発展の原理になれない理由はこれだけでない。構造的な問題がある。この理念は、理想的な社会を人為的に作り出すことができるという知的自慢を前提にしている。主人-代理人の問題とレバイアサン問題(leviathan problem)のような政治の問題を看過しているのも福祉国家理念の構造的問題だ。福祉国家は、特権階層を生み出し、利権追求をそそのかして、民主主義を特権と収奪の場にするということを無視してしまった。
福祉国家理念の構造的問題はまたある。道徳の問題がそれだ。小規模社会の道徳と、大規模な開放社会の道徳を区分できず、巨大な開かれた社会に閉鎖された小規模社会の道徳を適用するのが福祉国家の理念だ。原始部族社会への郷愁に浸って小規模社会の道徳を前提とする福祉国家の理念からは決して持続可能な発展は期待できない。
福祉国家理念の構造的問題として省けないのが、租税と政府支出の経済的問題だ。如何なる理念も、過度な財政を求められればそれは決して持続可能な発展の原理になれない。
福祉国家は決して持続可能であり得ないという事実を鮮やかに立証するのが、アイロニカルにも左派知識人らがベンチマーキングをするスウェーデンの経済だ。高い税率と大きな福祉政府は、決して良い経済と符合できない。スウェーデン・モデルは、福祉と成長の好循環でなく悪循環をもたらしたということを左派知識人たちは胸に刻まねばならない。
スウェーデン経済の興亡盛衰を見れば自由と責任、そして尊厳の三位一体で構成された自由主義が持続可能な発展パラダイムということが容易に分かる。
ぜひ必要な人にだけ国家が福祉を保障することを意味する「残余的福祉」、これを基盤とする自由主義こそ、持続可能な発展の原理であることが理論的にも経験的にも多様に立証されつつある。これが、左派知識人たちが自由主義に耳を傾けるべき理由だ。
自由企業院レポート(CFE-Report)