『日韓がタブーにする半島の歴史』室谷克実・著=金両基書評

“非常識な論究”は面白い が 日韓の未来構築に寄与するとは思えない
日付: 2010年05月26日 00時00分

新潮新書・定価720円(税別)
 “「文明は半島から来た」なんて大ウソ 古代史の常識がひっくり返る"とは本書の宣伝文である。「通説と常識で塗り固められている人々には受け入れがたいに違いない。それでも、通説と常識を疑う心を持つ読者なら、この“非常識な論述内容"を頭の隅に置いてくれるのではないか」(あとがき)と述べ、「陛下のお言葉ではありますが」(序文)から始まり、「新羅の基礎は倭種が造った」「倭国と新羅は地続きだった」と続く。

 序文は「貴国の人々から様々な文物が我が国に伝えられ、私共の祖先は帰国の人々から多くのことを学びました」という今上天皇のお言葉で始まるが、その思いに背く展開が目立つ。新羅の海岸に漂着し新羅の第3代王になった「脱解」は倭人・倭種であり、新羅の基礎づくりを指導し、「新羅も百済も倭国のことを文化大国として敬仰していた」と展開する。
 古朝鮮の建国神話である檀君神話の言及はあるが「半島の国家群の変遷」図にも文中にも古朝鮮は出てこない。戦前の皇国史観の朝鮮史学者である今西龍が檀君神話を高麗時代の民族意識による創作と見なして古朝鮮の存在を否定した展開の継承なのであろうか。

 「俗に任那と呼ばれている地域には倭人・倭種が住んでいたことは確実」で中国の『三国志・韓伝』から新羅と倭は「地が接していた」と読み下す。半島と日本が地続きだったのは一億年以上も前で民族集団の意識も芽生えていなかった時代である。
 韓国朝鮮史では、侵入してきた隋の大軍を奇才で撃退した高句麗の乙支文徳将軍は英雄として登場するが、「卑怯者を祀るOINK」(第四章見出し)であると断じる。OINKとは豚(韓国人)の鳴き声であり、卑怯者とは乙支文徳であり将軍は「大英雄どころか、“世界卑怯者列伝"に載せる人物だとしか思えなくなる」と語る。しかも将軍の偶像化を知ることは「韓国・朝鮮人の行動原理と歴史観を理解する上で大いに役立つ」という。

 さらにアメリカでのトヨタ・リコールの「米国での火付け役には在米韓国人が深くかかわっていた」という意表をつく。著者が「非常識な論述内容」と断っているように非常識な論究は面白いが、不幸な歴史が始まって100年を迎える本年、刊行した意図を計りかねる。未来志向の善隣友好と共生時代の構築に寄与するとは思えない。

(キム・ヤンギ 比較文化学者)


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