保守愛国勢力が交替を求める李明博の側近たち

保守愛国勢力は大統領の安保ラインを不信の目で見ている。
日付: 2010年05月06日 16時12分

金成昱
天安艦の艦内外から艦の材質とは異なるアルミニウムの破片が見付かったことで、政府が北韓の挑発であることを公式確認し、具体的な膺懲を加えるかが関心を集めている。
保守勢力は李明博大統領が言及した「行動」があるのかに対して懐疑的見解が強い。と言うのは、北韓側の挑発可能性を縮小・否定してきた青瓦台(大統領府)への不信が累積したためだ。
 

青瓦台に対する不信は事件当初から続いた。爆沈当日「何かにやられた」という天安艦艦長の報告をはじめ、北側の挑発を確認できる数多くの情報が青瓦台に報告され、軍は対潜作戦を命令し束草艦や
KF-16を出動させ、北韓は事件の3時間後戦闘機を軍事境界線近所まで出撃させた。

戦時に準ずる状況だったのに、青瓦台は327日、「北韓に特異動向はないと報告された」というブリーフィングをした。以降も「北韓の挑発と予断するな」、「北韓介入の証拠はない」という匿名の青瓦台高位筋や核心関係者の発言が言論に報道された。
 
2007年の(左派終息の)政権交替の主役だった老壮層は、北韓政権を露骨に庇う親北左派に対しては軽蔑を、理解し難い青瓦台の安保ラインに対しては疑惑の視線を送っている。
 
記者()は天安艦爆沈後民間人を相手に14回も講演した。保守層の聴衆には北韓や軍より青瓦台に対して不安に思う人々が多かった。李明博大統領が安保ラインを総入れ替えしないと大統領の断固たる意志の表明も(保守層の)信頼を得難いと見えた。保守層の人々が大統領周辺の問題のある人物と指摘した人々は次の通りだ。或者は彼らを「天安艦爆沈6人組」と呼んだ。
 
1金星煥外交安保首席:
天安艦爆沈後「青瓦台の安保態勢点検
TF」チームを導いている金首席は、平壌の金正日、金・ジョンウンに極尊称を用い反国家団体である北韓を国家と呼んで物議をかもしてきた人物だ。
 
彼は34日、中央日報と現代経済研究院が主催したセミナーで、金正日に対して「に置かれましては」、彼の息子の金・ジョンウンに対しては「後継者に内定された方」と尊称を付けた。その理由を質問されると「その方(金正日)が一国を治める方だから公開席上で礼儀を守るのが望ましいと思った」、「北韓がわが大統領を誹謗してきたのを(われわれが)批判してきた立場からもそうだと思う」と答えたという。
 
金首席は、218日ヨーロッパ連合商議(EUCCK)主催の昼食懇談会でも、「1つの国家へ行く政治的統一はいつなるのか分からない」、「南北が2つの国家を維持しながらもいつでも相互往来が自由になれば『事実上(de facto)の統一』の効果と似ていると言える」と南北を二つの国家と呼んで一ヶ月間二回も憲法を否定する主張をした。
 
2.朴亨埈政務首席:
李大統領周辺には北韓式連邦制を受容れた「
6.15宣言」を支持する人々が多い。「青瓦台の安保態勢点検TF」チームのもう一人のリーダーである朴亨埈政務首席は、20056月平壌訪問直後の627日、国会議員18人と共に「韓半島の平和実現と6.15共同宣言の発展的継承のための決議案(以下6.15決議案)」を国会で共同発議した。
 
この決議案は、「6.15精神によりその間多様な形で進行された当局間の対話が実質的結果を出せるようにこれを制度化するなど質的発展をなすための努力を南北当局に要求する」と主張した。また「南北国会会談の早期再開」と「対北支援のための法的装置と具体的な協力方案を設けること」を促した。
 
朴首席は、(李明博大統領の「中道実用路線」の設計者として知られている。保守勢力は中道路線を、反逆勢力と大韓民国、敵と国軍、悪と善、不法と遵法の間での中立と理解する。中道路線が法治と安保に適用されたことで憲法精神が壊れ、左右同居の混乱が齎されたと思う。
 
3.鄭文憲統一秘書官:
統一秘書官の鄭文憲前国会議員も
2005627日「6.15決議案」を共同発議した。
 
鄭前議員は、何回も憲法第3条の領土条項の廃止を主張してきた。憲法第3条は「大韓民国の領土は韓半島とその附属島嶼とする」と宣言した条項であり、北韓を反国家団体と看做す国家保安法の存立根拠として機能してきた。
 
鄭前議員は、2005315日、「インターネット民衆の声」とのインタビューで「今の時点で憲法(の改正)を議論するなら権力構造に関する検討だけでなく領土条項の削除を主張したい。領土条項は南北が分断されてから正統性を持つ国ということを強調するため入れたものだ」、「領土条項はなくなるべきだ」と主張した。彼はまた「憲法に領土条項を持った国が殆どない。アメリカもなくドイツもない。わが憲法を作る当時の理由は分かるが、この期に及んで固執し続ける理由がない」、「韓民族が全世界のどこにいようがわれわれが代表性、あるいは民族的アイデンティティ持ちながら行けば良いことだ」と話した。
 
鄭前議員は、2005512日国家人員委員会で開かれた「2005南北和解と平和定着のための市民討論会」でも、憲法第3条の削除を主張した。同行事を主管した統一教育協議会は、ホームページに載せた記事でこう報道した。
「ハンナラ党の鄭文憲議員は南北交流協力がイベント性の行事で終わるよりは、領土を超えての韓民族ネットワークができるように視野を拡大せねばならない時であることを強調した。このために憲法の領土条項の削除が必要だという破格的な意見も開陳した。」
 
鄭前議員は、国家保安法の改廃論議が真っ最中だった2004113日、北韓の法的実体を認め、北韓の国号を使う内容のいわゆる前向きの「南北関係基本法案」を提出した。
 
鄭前議員が200473日国会に提出した「南北交流協力に関する法律改正案」は、政府の事前承認なしで北韓のインターネットサイトに接続できるようにするのが骨子だった。彼は当時「南北間のインターネットを通じての交流拡大は和解・協力と相互理解の増進に寄与し、分断管理や脅威の解消に役立つ」と主張した。
 
鄭前議員は、2005614日~17日「6.15民族統一平壌祝典」に参加してこう言った。
「平壌が自慢する建築構造物である凱旋門は金日成の武装抗日独立運動を記念したためか、フランスの凱旋門より雄壮で華麗だった。金日成の独立運動の事実可否に対しては異論があるが、この問題を離れて彼らなりに強調し自慢したい部分に対しては対外に明確にする印象を十分に受けられた。(中略)ハンナラ党も前向きに北韓を認識し今後北韓をパートナーとして認めて包容する変化を見せねばならない」(623日、江原デーリーアンとの書面インタビュー)
 
鄭前議員は2007517日、南北間の列車試験運行に搭乗した。当時南韓の猪津駅で「お会いできてうれしいです」という北韓の歌が流れたことに北韓側の金・ヨンサム鉄道相が関心を示したら、鄭議員は「私は『心臓に残る人』という歌が良かった」、「鉄道相は私にそういう人のようだ」と言った。
 
4.李東官広報首席:
東亜日報記者出身の李首席は、公職就任以前の特別な行跡が把握されない。だが、
2008年の「狂牛病ロウソク乱動」以来、親北左派の不法暴動の実体はもちろん、アメリカ産牛肉の安全性などを国民に真実を知らせなかったことで法治の破壊を傍観・助長してきたと保守勢力から批判されてきた。天安艦事態でも同様の行態が繰返されたという指摘だ。
 
5.金恩慧代弁人:
MBC
記者出身の金代弁人は、天安艦事態の翌日、「今まで北韓側の特異動向はないと報告された」とブリーフィングし、西海で前夜起きた(実戦)状況を縮小・隠蔽したと批判されている。
 
6.李洪九「6.25戦争60周年記念事業委員会」委員長:
青瓦台の参謀ではないが、李洪九元総理に対して問題を提起する保守層が多かった。
 
6.15宣言」の実践を主張してきた李洪九元総理は、「大統領諮問統一顧問会議議長」と「6.25戦争60周年記念事業委員会委員長」に就いている。彼は、200992日、あるシンポジウムで「6.15共同宣言と10.4南北首脳宣言が、南北基本合意書、非核化共同宣言と共に『例外なしに』受容され再確認されてこそ統一議論が進展できる」と主張した。
 
李議長は同月9日の東亜日報とのインタビューでも、「南北は共同体統一方案の後合意した南北基本合意書、非核化共同宣言、6.15共同宣言、10.4首脳宣言の原則を例外なしに受け入れねばならない」と表明するなど、6.1510.4宣言の実践を繰り返し主張した。
 
李議長は、()統営国際音楽祭の理事長職も受持っている。この財団は音楽家の尹伊桑を追慕する代表的な機関だ。尹伊桑は「民族の才幹坊」と金日成から絶賛されたいわゆる「朝鮮民主主義人民共和国」が韓半島を統一のために活動してきた反国家的人だ。一つの人格体が、「金日成の男」と「大韓民国の愛国者」を同時に讃えることはできないはずだ。こういう人物が「6.25南侵戦争」記念事業を主導するというのは大韓民国と戦没者に対する冒涜だという声が高い。
 

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