鄭昌仁(自由統一フォーラム代表)
天安艦の沈没で国軍将兵が命を落とした。だが、政府はそれに相応な正当な対応をしなかった。今になって弔問する、または戦死者としての優遇する、あるいは原因を徹底究明して断固として対処するなどの言葉を出し続けているが全て空しく聞こえる。初期対応に失敗したからだ。
われわれは、TVドラマを見て流すような安っぽい感傷的涙を望まない。奇襲攻撃を仕掛けてきた敵に対する正当な報復を望む。この正当な報復のみが敵の奇襲攻撃で尊い命を落とした国軍将兵に対する正直な弔問になる。
もし、軍が初期対応で間違っていたら当然軍に責任を問わねばならない。だが、政界、特に青瓦台(大統領府)が初期対応に失敗したとすれば当然青瓦台が責任を取らねばならない。北傀が攻撃したことが明らかになれば安保理に回付するという政府当局者の発言があった。真に呑気でお金持の一人息子のような虚しい発想だと言わざるを得ない。主権を侵害されたのになぜ直ちに報復せず、この問題を国連に回付しようとするのか? 主権の放棄としか見られない。
国軍の統帥権者が、敵に対する断固たる報復には触れず、原因を徹底に究明して二度とこういうことが起こらないようにすると壮言するのは空に向けて叫ぶ空しい独白のように見える。卑怯な人は言葉で再発防止を叫ぶだろうが勇気のある人は行動をもって報復する。イスラエルが最も良い手本だ。イスラエルは言葉で空に向けて叫ばない。徹底に行動をもって膺懲する。
不意の奇襲で命を落とした国軍将兵に対する最大の正義は、正に攻撃者その者、敵に相応の膺懲を加えることだ。北傀の潜水艦による攻撃だったら、北傀の潜水艦基地を攻撃して潜水艦を全部破壊することがまさに国家のため生命を捧げた国軍将兵に対して正義を実現する道であり、最大の弔問になる。
われわれは死亡した将兵らに「最後の命令だ、帰還せよ」とか、または「安らかに休め、命令だ」という式の感傷的空しい謳い文句は、単に真実を隠し当然にやるべきことを回避するための浅い術策だと思う。死んだ人に帰って来いというような空しいスローガンでなく、確実に敵を膺懲する断固たる行動のみが彼らの死を無駄にしないことだと信じる。
どうして、われわれは北傀のテロ攻撃を受けるばかりで一度も膺懲できず、北傀の奇襲攻撃に対してもやられるばかりで報復できないのか? 戦争は韓国だけが恐れるのか? 北傀は戦争を恐れていないのか? ボクシング試合に臨む選手が一発殴られるのが怖くて相手にパンチを食わせられなかったら試合に勝てるだろうか? 戦争を覚悟した膺懲だけが敵の悪い癖を直せる。
今度の天安艦沈没に対しては言葉が要らない。即時に確実な報復だけが答えだ。いくら派手に叫んでも行動が伴わないとそれは卑怯者の卑怯な行動であるだけだ。今度死亡した国軍将兵らの命を本当に尊く思うなら、彼らが護ろうとした大韓民国の名をもって攻撃者を膺懲することだ。
未だ敵に対しては沈黙しながら国軍の過ちばかりを言うのは敵に屈服することであるだけだ。軍の過ちを糺すことは敵に対する膺懲を終わらせた後にやっても遅くない。言葉でなく行動をもって戦死した国軍将兵を慰問せねばならない。
*写真:筆者(上)、沈没三日前給油中の天安艦(中)、朴正熙大統領暗殺試図(「文世光事件」)で被弾した陸英修女史(下の右端)。