洋子のアパートは、保谷駅の南口から西の方向に五分ほど歩いたところにあった。入口の横に、「緑荘」と書かれた看板が掲げられていた。
祥一の住んでいるアパートと同じく、一階と二階が四部屋ずつになっているが、祥一のアパートが古びた簡易アパートなのに対し、緑荘は鉄筋コンクリート造りの、頑丈で真新しい建物である。入口の横に二階に通ずる階段があるが、それも幅のゆったりした鉄製の階段である。
洋子は階段を昇って行った。昇り切ったところが、これも幅のゆったりしたコンクリートの廊下になっていて、洋子の部屋は、西はずれの一つ手前の六号室だった。
「ずいぶんいいアパートじゃないか」
ドアのノッブに鍵を差し込んでいる洋子に祥一はいった。
「一年前に建てられたばかりなのよ。わたしが入居したのは、建てられてすぐのときだったわ」
部屋は、六畳の和室一間と、リノリウム敷きの四畳半ほどのダイニングキッチンが付いている。和室には、祥一の部屋のよりいいベッドが備えられている。しかも、祥一のアパートは共同トイレなのに、洋子の部屋にはトイレが付いている。小さな冷蔵庫もある。洗湯は、歩いて二、三分のところにあると洋子はいった。
狭苦しいなんてもんじゃない。二十(はたち)前の女が一人で住むにはぜいたくな気がした。
「ぼくのところにくらべると、よっぽどいい部屋じゃないか」
狭苦しいというから、四畳半一間程度の部屋を彼は予想していた。アパートも、もっと古びたものを予想していた。
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「会社がまとめて借りているアパートなものだから、住んでいる人は、N化粧品の社員なの。もっとも、ほかの人たちは、皆渋谷の本社の方に勤めているけれど」
ダイニングキッチンには、小さなテーブルも据えられていた。
「ぜいたくな部屋だね」
と祥一はいった。
「でも、部屋代の半分は、会社で持ってくれているのよ」
「君の会社は、そんなに儲かっているのかね」
N化粧品会社は、中堅どころの会社である。
狭苦しい部屋とは、こういう部屋のことか。すると、俺の部屋は、古びた超狭(ちょうぜま)の部屋ということになるな--と彼は内心苦笑をおぼえた。
「そういうことは、よくわからないけれど、営業成績はいいようね」
洋子はカーテンを開け、ガスストーブに火をつけた。
窓の向こうに点々と家が建っていて、数十メートル先が線路になっている。ちょうどそこを電車が通りがかっていて、車輪の音が響いてくる。
騒音といったらそれぐらいのもので、車の通るような道も周囲にはなく、あたりはひっそりしている。線路の向こう側には畑が茫々とひろがっている。けやきの林もあちこちに見えた。
「ここだって、ずいぶん静かじゃないか」
祥一はいった。
「でも、あの電車の音が気になるの。夜は特にそうだわ」
洋子は冷蔵庫を開けた。
祥一は洋子に近づいて行った。その腕を掴み、和室のベッドに引いて行った。
1984年9月21日4面