浜辺で二人並んで坐っているうちに、ふと祥一の手が洋子の手に触れた。砂浜に後ろ手に突いていた手の位置をちょっと移したら、そこに洋子の手があったのだ。
彼は、洋子に顔を向けた。触れた手を握ると、波を見ていた洋子は目を伏せた。
彼は、周囲を見回した。淡い暮色の立ちこめている浜辺は、ひどく閑散としていた。さっきまで泳いでいた若者は、いつのまにか姿を消していた。彼方の海辺で投げ釣りを続けている人のほかは、さらに彼方の砂浜に一組の男女が坐っているだけである。遠くて、顔の見分けもつかない。周囲は、誰もいないも同然だった。
彼は、握った手で洋子を引き寄せた。そして、唇に唇を重ねた。洋子はされるままになっていた。接吻しながらも、なお彼の中には冷えびえした夕焼け空がひろがっていた。
その夕焼け空に心の背を向けるように、彼は洋子の身体を砂浜に横たえ、さらに激しく接吻した。舌を押し入れると、洋子も微かに舌を動かした。適度の厚みを持った洋子の唇は甘美だった。彼は、ながいこと接吻を続けた。にもかかわらず、彼の心の中には、相変わらず茜(あかね)色の夕焼け空がひろがっていた。
「人に見られるといけないわ」
やがて洋子は身を起こした。洋子の背についた砂を、彼は手で払った。
「寒くない?」
と洋子は潤んだ目でいい、ハンドバッグからチリ紙を取り出して、口紅のついた彼の唇を拭いた。
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日中は暖かかったが、そして北鎌倉から鎌倉に歩いてくる途中、洋子はコートを脱いで腕に下げていたほどだったが、夕暮れが迫るとともに、さすがに十二月の冷気が漂いはじめていた。海辺にじっと坐っていたのも冷気をそそったかも知れない。
七里ヶ浜のすぐ後ろの、道路を隔てたところに江の電が走っており、何とか高校前という駅もある。その駅から江の電に乗り、藤沢駅に出て、二人は東海道線で東京に戻った。
七里ヶ浜で洋子とはじめて接吻を交わしたわけだが、洋子と鎌倉を散歩した日を思い返すとき、彼の中にまず甦るのは、どういうわけか、洋子の唇の感触というよりは、七里ヶ浜の水平線上に浮かんでいた夕焼け雲なのである。その後、洋子と逢うたびに、折にふれて接吻を重ねたが、そういうときにもまず甦るのは、なぜか、七里ヶ浜の海の向こうに見えていた、冷えびえした茜色の夕焼け雲なのだった。
彼が、衝動的に直江津に旅立ったのは、その三カ月後である。旅行から帰って数日後に、彼は洋子と池袋で逢った。その際、はじめて洋子の部屋を訪れた。
彼が洋子と逢うのは、いつも土曜か日曜の午後で、場所も新宿か池袋に限られていた。洋子は保谷に住み、池袋のN化粧品会社のサービスルームに通っている。祥一の下宿はお茶の水駅に近い湯島である。二人の交通の便が主要な理由だったが、湯島なら銀座も近い。
たまには銀座あたりを一緒に歩いてよさそうなものだが、祥一にはその気が起こらなかった。彼は、銀座になじめないものを感じていた。太宰調にいえば、「気取っていて、キザったらしくて、いけねえや」といった感触が湧くのである。
洋子の住んでいる保谷にもいちども行っていなかった。どんな町か、訪ねてみたい気持はあったのに、訪れたことがなかった。
これは、自制の気持からである。保谷に行ったら、きっと洋子は、自分のアパートに祥一を招くだろう。その部屋には、洋子しか住んでいない。誰もいない部屋で二人だけになるということに、彼は逡巡(しゅんじゅん)をおぼえた。
1984年9月19日4面